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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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感情は私のものではない

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色々な感情はただ感じてあげればいいのです。

意味をつけずに、ただ観てあげれば流れて行きます。

空の雲の流れを観るように。

同じ雲が戻ってくることがないように、私達の心に浮かんだ感情も、同じものが現れることはありません。

私達は観察者ですから、

私達に現れてくるものを、
嫌だとか、
感じたくないとか、
あるいは、
自分なりに解釈して観るなどをやめて、
ありのままに、
思い浮かぶままに、
感じて、観てあげるなら、
自然に流れて行きます。

川の流れに、同じ水がないように、
私達の感情も同じものはありません。

同じものが繰り返し現れる時は、
私達が、嫌ったり、抑えたり、曲げて解釈した時です。

現れる感情をただ、現れるままに、観てあげれば、

感情も自由に来て自由に去ります。

私の体が私ではないように、
感情も私ではありません。

起きてくることもありません。

私達は夢の中で、
起きてくるものを観ている者です。

夢の中で、
声を出しても、嫌だと言っても、逃げても、やっつけようとしても、

海の波と戦っているようなことです。

感情は、海の波と同じです。

現れる形をただ、観てあげれば去ります。

雲や波が同じ形がないように、

あなたがこだわらずに観るなら、

同じ感情に苦しむこともないのです。

バイロン.ケイティの目覚め

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全てが存在したことは有りません。

全てが存在することが出来ません。

あるように見えたその瞬間に、それは既に消え去ってますから。

何という愉快なジョークでしょうか?

仏陀の慈悲は、自然に流れ出る慈悲です。

慈悲は、自我がないことに気づいた後に残るものです。

知らなきゃならないものもなく、知っている人もいません。

ですから、私も知りません。

本当に面白いです。

仏陀は宇宙が親切だと知っていました。

僧侶と言う言葉は、独りでいると言う意味のようです。

現実でも私達は独りです。

全ての人は唯一の存在で、他人は有りません。

ですから僧侶とは、全ての人のことなのです。

僧侶とは、保護したり、防衛しなきゃならない自我がないことを理解する人です。

私のうつ病は、私が信じた考えから、来たことが分かりました。

私の考えを信じれば苦しく、信じなければ苦しくないことがわかりました。

そして、それが全ての人にも真実だと分かりました。

自由は単純なことでした。

朝、目が覚めたら、
私には、家も家族も自我もありませんでした。

どれも実在するものではありませんでした。

私は喜びの中にいました。

私のものも、あなたのものもありませんでした。

私が執着するものは、何もありませんでした。

他人に近づいて、相手が私で私が相手だと知っていたので、

相手を抱いて手を繋ぎました。

そんな行動が私には自然でした。

後から、そんな態度がおかしいと気付きました。

それで私は、
何もないのよ、何もないの!と、
言って回りましたが、

結局は誰にも分かってもらえませんでした。

真実は何もないことすら、ありません。

何もないとは、
ある何か、(sometime)
の話しです。

実際はその話しの以前の話しです。

私はその話しの以前で、

何もない (nothing)

その以前の話しです。

それは表現出来るものではありませんでした。

話そうとすると、それから遠ざかります。

言葉では伝えられるものではないことに気付きました。

それなのに、
それは私にとって、
とても単純明解なことでした。

 
時間と空間は実際しない。

知らない (無) が全てである。

愛だけがある。


私は止まらない喜びに浸って、私は歩く電球のように思えました。

人は、私を光る人と、言いました。

その光ゆえに人と分離することを知って、
その光を私の中にしまい、私は平凡に見えるようにしました。

仏陀の頭の上に、描かれる光のように、
彼と同じ人は、内面から光が現れるのでした。

それは、世界が自分の心の中から、現れることを理解し、心が、
平安になっている時に、現れる光でした。

仏陀は、静かに座っている時、

心は相手に通じ、
相手に質問をし、
相手も自分も、
自分自身となり、
理解を通して、
自分自身と出逢います。



  ーバイロン.ケイティー

観る夢を変える

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私達は観察者であり、観察される者です。

私達は夢を観ながら、その夢を創っています。

夢を観る者と、夢を創る者が同じです。

私達が、絵や文字を書きながら、それの出来具合を観ているように、

私達は夢を創りながら、創られる夢を観ているのです。

ですから、私達は観察者であり、観察される者です。

私達は、このような夢の世界を創れる力がありながら、それを忘れて、自分には何の力もないと言う、夢を観ています。

私達が望んで創った夢が、これからは、覚めて行く時代です。

スリルを求めて、創られたこの世界は、そろそろ夢から覚め始めました。

今、先を争って目覚める人が現れて来ています。

私達が観察者であり、観察される者だと言うことが、理解出来るなら、

私達は観察者側に回れます。

私達は毎日を自分自身で創っていながら、それに気づかず、

どうしてこうなるんだ?といぶかります。

毎日を自分で創造していることを知るなら、
もう少し考えるようになります。

今日一日をもっと良く過ごそうと考えます。

毎日が、私達が創った夢だと言う事実を知っていて観るなら、
あなたは変わるし、
それが目覚めです。

現実は今あなたが創っています。

1秒、1秒、舞瞬、舞瞬を、あなたが創り上げているのです。

あなたが、今とは違う現実を味わいたいと思うなら、
今から、夢を変えればいいのです。

夢を創造する者、その夢を観る者、それがあなたですから。

中毒状態とは

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怒りでいっぱいになっていると、
体の感覚を刺激し、怒りのホルモンを出します。

怒りのホルモンは、体を駆け巡り、体の感覚を刺激します。

すると更に怒りっぽくなります。

人が、怒りや恐れなどを感じた時は、それと同じホルモンを刺激し、そのホルモンは体を駆け巡り、同じ感情を刺激するようです。

快感を得た時も、快感を刺激するホルモンが出るので、それに人は、溺れます。

愛や慈悲の感情も、それと同じホルモンを刺激しますから、

慈悲や愛に留まることが出来るのです。


人は、愉快なことを喜び、それだけを良いとして、
不快なことが起きるのを嫌いますから、

常に愉快や不快に強く反応します。

愉快なことも不快なことも、ありのままに受け入れ、それに動じないでいることが出来るなら、

それが、即仏陀であり、人はそれを目指して修行をするのだと言いますが、


私達は、愉快な感覚が起きると楽しいので、又同じ快感を得たい思いが現れます。

すると、愉快な感覚に執着するようになります。

執着すると、対極では、嫌悪感も現れますから、執着が強ければ強いほど、嫌悪感も強くなります。

愉快な感覚が不快な感覚に変わり、不快な感覚が、対極にあった愉快な感覚に変わります。

これが自然の法則です。

ですから、愉快な感覚を望むと、不快な感覚を呼び寄せるのと同じ結果を生むのです。

この世界は振動だけがあります。

同時に物質もあります。

両方とも真理ですが、それを上手に統合して行くことが、仏教で言う「中道」だと言います。

すると、渇望や嫌悪を避けることが出来ます。

心が、愉快を追わなくなり、愉快や不快から自由になれば、心は浄化します。

それからは、人は慈悲を持って生きることが出来ます。

仏陀のように、慈悲や愛の人になりたくて、修行しますが、

仏陀は、体の感覚やホルモンの動きを知ることも、修行の助けになると言います。

中毒状態とは、
自分自身が出したホルモンに中毒されてることですから、

自分が出している、体のホルモンに中毒されてる事実に気づき、

体の感覚を懸命に観察して行くなら、

中毒から抜け出せるのだと言います。


 ㅡ고엔카 선생님ㅡ(コエンカー)

感情にも知性がある

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私達が頻繁に感じる嫌な感情は、全てをありのままに観て、感じてあげれば、消えます。

私達は毎日沢山の感情に悩まされていますが、

どんな感情も嫌がらず、ありのままに受け止めて、認めてあげればいいのです。

感情は、あなたに知らせる役割で現れます。

そして私達は、その感情を感じてあげる必要があるのです。

どんな感情も、私達が観てあげれば、数分も経たない間に去ります。

感情は、私達に観てもらえれば満足するのです。

そして、私達が習慣にしてしまった怒りや欲などの感情もありますが、

これらの感情も、その感情にフォーカスして、集中して観てあげれば、数分でなくなるのです。


私達の心は、根源の光ですから、

根源の光は、全てを癒しますから、

習慣となっている感情も治癒出来るのです。


私達の毎日の色々な感情は、現れる度に、嫌がらずに、ただ見つめてあげればいいのです。

感情も生命体であり、知性を持っていますから、
あなたがしっかり観てあげて、認めてあげるなら、感情は満足して去ります。

強い、苦しい感情を感じてあげるのは、辛い作業かも知れませんが、

強い感情は、その分強いエネルギーですから、
後から、あなたの大きな力となってくれます。

辛いうつ状態を数年間、感じ続けた人は、霊感が強くなり、目覚めるケースが多いです。

全ての感情は、必要があって現れますから、ただ、感じて、認めてあげて下さい。

すると、感情達は、あなたの見方となってくれます。

うつの感情を感じたくない方は筋肉をつければ、うつにならないようですが、

その前にうつを体験しているなら、それはそれで必要があったのです。

感情は、早めに感じてあげれば去ります。

そして、あなたに認められた感情達は、後から、あなたを助ける大きな力となってくれますから、

現れる感情を、ありのままに受け入れ、認めてあげて下さい。

あなたの子供の気持ちを解ってあげるように、そのように優しく、見つめてあげて、認めてあげて下さい。

すると、あなたのパラレルワールドも変わることでしょう。

どんどん新しいパラレルワールドのレールに乗り、過去も未来も変わります。


地球は、舞瞬、変わります。

地球はこの瞬間しか有りません。

前の瞬間とは繋がりがないのです。


ですから、今の感情を感じ切って、認める生き方は、

あなたの、パラレルワールドをどんどん高いレールに、乗り換えさせることとなるのです。

人は不生不滅

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私達は死を恐れますが、

私達は形を変えながら存在し続けるのです。

生まれると「生」だと言い、死ぬと「滅」だと言いますが、

本当は「不生不滅」なのです。

私達は生まれることも死ぬこともありません。

氷が解けて水になり、水は蒸発すると消えてしまいますが、

氷も水も無くなりません。
形を変えただけなのです。

万物は形を変えます。

私達は本来、意識で存在するのですが、
人の体を借りて3次元世界を体験しているのです。

この3次元世界は、映画のスクリーンのようなもので、
私達は3次元現実という映画を観ているのですが、

海を見に来たのに、海の中に入り、波と戦っているような、
勘違いの世界を生きているのです。

生きることは辛い、
死ぬことは怖いと、

本来神々である私達は、このように笑ってしまうようなゲームを創ったのです。

3次元は神々である私達が創ったゲームであり、魂の成長の為でもあるのです。

私達は死ぬと神々の意識に戻ります。
そして、地球のお化け屋敷の話で盛り上がるでしょう。

宇宙は、数えきれないくらいの次元やパラレルワールドがあり、

私達が死と言う変化を迎えた後には、

又新たな次元を体験し始めるのです。

私達自身が選んだ新たな次元やパラレルワールドを、ワクワクしながら、その次元に飛び込むのです。

死とは、新たな世界への扉なのです。

「死」とは、
この3次元世界の映画を観終えると言うだけのことなのです。

本当の私

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私達の殆どがエゴを生きています。

エゴは、私達の生存の為に必要なものでもありますが、

エゴは、「本当の私」を見つからなくさせます。

エゴは、頭脳ですから、
自分自身の頭脳を信じ切ってる人ほど、「本当の私」に気づきにくいのです。

エゴは常に何かを考えていて、
利益を得ること、自分を立派に見せること、
「愛」だと思わせる行動をしながら、

あの人が私より優れている、私があの人より知っている、もっと偉くなりたい、私は駄目だ、今あの株を買っておけば儲かる、損するなどを常に計算しています。

エゴが頑張ってる間は、
「本当の私」は黙っています。

私達はエゴの思いのままに動いて、必死に生き残ることや、人より優れた「生」を生きようと頑張ります。

人の記憶に残る人生を生きたいと思っています。

その「欲」を追いかけて、疲労困憊します。

生きることは大変だと思います。

何故いきるのか?と、
突然虚しくなります。

虚しくなった時に、
私達は本当の自分を探し始めます。

「本当の私」は常に私のそばにいたのですが、
人は沢山の廻り道をしてから、
やっと「本当の私」に気づくのです。
 
「本当の私」に気づいた瞬間、
人は歓喜します。

それから、世界が変わります。

「本当の私」を発見した時に、
エゴを見抜き、エゴを捨てて、
「本当の私」として生きるのです。

静かで、浮き沈みのない喜びだけの本来の姿に戻るのです。

自分や人や世界を恨むことがなくなります。

周りの動きに、合わせたり、不安がることもなくなります。

あなたの中の「本当の私」の他に、あなたを喜ばせるものは、
何もないと、分かるからです。

「本当の私」は、
私を怖がらせたり、不安がらせることをしないのです。

安心と平和、気づきと愛、喜びと許しが無限に広がる心、

それが、

「本当の私」であるからです。

エゴに気づき、エゴを捨てる準備を始めた人は「本当の私」に出逢います。

エゴを見抜くことが、
この世でのゲームの目的なのですから。