量子もつれと地球の二元性
この世界は二元性で出来ている。
悪があれば善があり、
善があれば悪があり、
喜びの後には悲しみが来て、
楽しい後に苦しみが現れ、
天使と亡霊があり、
良いがあれば悪いがあり、
嘘があれば真実があるのだ。
だけど、
良いも悪いも、嘘も真実も、
全て私自身が創り出している。
私が観ているものや、関心のあることが目の前に現れ、それが私の人生となる。
一つの量子があれば、宇宙の何処かに必ず、もう一つの量子があり、
二つの量子は、銀河の反対側くらいの距離に離れていても、互いに通じ合ってると言う。
光より早い速度で、こっちの量子が変われば、同時に相手の量子も変わるのだ。
つまり私が変われば、もう一つの量子の私も変わるのであるが、
例えば、私が右に回ったとしたら、もう一つの量子は必ず、反対の左に回るのだと言う。
森羅万象は本来は、一つの点から生まれてる訳だから、
全てが私一人、全てが一つだと言っていいのだ。
私と言う一つの海が、一滴ずつ分離し、
分離と言う悲しみを体験しているのだ。
だが、善と悪があり、喜びの後には悲しみが現れるこの二元性の原理や、
量子もつれのような、もう一つの自分が同時に存在している必要などの、その理由が分からない。
宇宙は、人間の頭では理解不可能だ。
だけど、人間が焦点を合わせるものが、その人間の人生になるのだから、
宇宙はあまりにも複雑で、憎いものでありながら、
その宇宙を創ったのも私であるのだから、こんがらがってしまう。
自分でコンピュータゲームを創り、自ら忘却のベールを被って、コンピュータの中のアバタの体の中に入ったのだ。
コンピュータゲームを創った私は、アバタとなって天を仰ぎ、謎を解くべく、昼も夜も考えているのだ。
量子もつれのもう一人の私は、私から距離を置いて、私を観察しているのだろうか?
あるいは、私を動かしているコントローラだろうか?
量子もつれと、地球の二元性の意味を知ることが、人間の存在の意味を知る鍵かも知れない。