人が何かを見る時には、脳の神経細胞10億個ものの数が動くが、
人の意識を使おうとすると、
神経細胞は数千、数万個くらいの少ない数しか動かない。
本来はそれの100億倍くらいの神経細胞があるのだが、
人はそれを使い切れていないようだ。
これを全部使える状態になるなら、セロトニンの分泌量がその分多くなるから、覚醒をしやすい。
人は興味のあるものには、真剣になり、その時には、神経細胞が沢山開いているが、
興味のないものには、神経細胞自らスイッチを切る。
エネルギーの節約のためだ。
創意的な人の習慣は、
昼間でも瞬間的に眠りに入れて、短い時間でも深い睡眠が取れる。
もう一つは散歩をすることで、脳を活発にする。
人の意識を常に全開にしてることは難しいが、
昼間に短時間の深い睡眠を取ることと、散歩で体を動かすことで、
人の脳はある程度良い状態を維持出来るようである。
意識と言うのは、非常に大事なものだから、
興味のないものに関してはスイッチを切り、神経細胞を休ませて、
興味あるものや、必要なものに対してスイッチを入れ、意識の神経細胞が動かす。
意識は動物にも意識があるが、人とは違い、順序を持たない意識だ。
人は、順序を持ち、言語を使って意思疎通をする。
言語は順序であり時間である。
順序がない動物には、言語の必要がないから、時間の感覚もないのだ。
時間の意識のない動物が観る世界は、
空間の認識がなく、スナップ写真のように見える。
動物には時間が流れると言う概念がない。
人は言語を使うから、意識を広げられるのである。
そして人は社会的であり、社会があるから感情が生まれる。
人は社会を生きるので、他人を知る必要があり、
その為に常に他人を気にしたり、他人の表情を見て、物事を判断する。
人が持つ共感力や利他心も、動物にはない。
そして人には、目的意識があり、その中に概念がある。
家に入るために鍵を取り出す時は、
鍵と家が、家に入ると言う同一目的の概念となる。
だから概念は、目的から生まれている。
人は、時間に拘束されてると思われてるが、
本当は、他の動物と違って、時間から自由になれた唯一の存在である。
動物は、決められた場所を自分の意思で移動することは出来ないが、
人は何処へ行くのも自由であり、目的を持って行動出来るし、
逆に言えば人は、目的のない行動が不可能である。
人は言語を使い会話をし、物語を創る。
意識の移動が自由に出来るからだ。
意識の移動から、言語が現れ、注意集中や、音の方向を知覚し、バランス感覚などが生まれて、これらを人の脳は全て処理する。
その為、人の脳は発達して、目で見て判断をする視覚的な言語が生まれている。
視覚が集まりイメージとなり、それを言語で表す。
視覚的なイメージの記憶と、言語が作り出したイメージが、
人の思考作用である。
人が覚醒すると言うのは、
人の前頭葉の中で意識の爆発が起きることである。
これが、超意識世界である。
人は色々なことを思考し必死に考えあぐねてる間に、脳が開き、前頭葉に爆発を起こす。
脳にセロトニンの量が莫大に増え、新しい世界の門が開くのである。
仏教放送から