現在あなたが深い悲しみの中にいるなら、やがて大きな喜びが現れます。
現在あなたがとても辛い感情の中にいるなら、やがて大きな平和が現れます。
現在あなたが人生のどん底にいると感じているなら、やがて高く登って行く時が来ます。
これが宇宙のシーソーゲームです。
シーソーの反対側が高く上がれば、もう片方も高く上がるように、
苦しい感情と、間反対の喜びの感情も、一緒に現れています。
例えば、悲しみの反対には愛の感情があり、
罪悪感の反対には、包含の感情があって、
恐怖の反対には至福の感情が並んでますから、
今感じている感情の反対の感情も現れています。
そして、苦しみや恐怖の感情が強ければ強いほど、反対の良い感情も強く現れています。
人の感情のなかでも、罪悪感や羞恥心は、かなり苦しい感情で、耐え難いものですが、
だからこそ、この苦しい感情の反対には、とんでもない喜びである、悟りが来ています。
苦しみの感情には、
怒り、恐怖、無気力、罪悪感、羞恥心などがありますが、
誰からも愛されない羞恥心、無気力、恐怖の感情などで、
全てに絶望して、その先に何もないような暗闇の中にいる時にやっと、
私達は小さな光を見つけます。
私達が完全な闇にいる時に、弱い光にも気づけるのです。
そして、その小さな光は一気に広がり、とんでもなく大きな喜びと、深い愛と包容と言う至福の道へ案内されます。
それが宇宙の法則であり、私達が創ったゲームです。
光は何処にでもありますが、私達が光の中にいる時は気づかないだけです。
私達が闇にいる時にやっと、光を照らせるのです。
私達はこの世界に、苦しむ為に生まれたように思える時が多いですが、
私達は本来の、愛と喜びしかない世界から、
苦しみとは何か?
悲しみとは何か?
痛みとは何か?と、
それに疑問を持ち、その感情を知りたくて生まれたのです。
そして、苦しみが強くなり過ぎて、絶え難くなった時には目覚めるように、セッティングして来ています。
ですから、目覚めは苦しみの終わりです。
私達は、この世界を観て体験したくて来ている魂ですから、魂の存在が私で、
体はただの借り物です。
体は、水に入る時に使う、水中メガネや防水服を付けるようなもので、
選んだ体験の内容に合わせた形の、体を着ています。
ですから体が私ではなく、魂が私です。
観られるのが私ではなく、観ているのが私です。
心配したり、恐怖したり、
又は過去に悩み、未来を恐れたりしますが、
私達に死は存在しませんし、過去も未来もありません。
あるのは今、この瞬間だけです。
この世界にいるのは、
永遠な喜びと安全な世界にいながら、ネットの1ページをめくって観ているような瞬間に過ぎないのです。
ですから苦しみは悟りの最も近くにあるのです。
憎しみが愛の隣りにあるから、憎しみが愛に変容しやすいように、
苦しみは悟りの隣りにあるのです。
悟りとは、いよいよ、この世界は幻想だと言うことに気づかせる為の、救済の処方箋なのです。