人から非難されたり、触れたくない部分を言われると、
私達は傷つきますし、辛い感情を感じますが、
他人からの言葉や態度で、傷ついたと感じるのは、
実は私の中に、解消されずに無意識の中に閉じ込めた感情があり、
他人の言葉や態度によって、無意識の中に閉じ込められてる感情に、気づけるのです。
私達は互いに、相手の無意識の中に閉じ込めた痛い感情を刺激し合い、
互いの感情を浄化させてあげるための、鏡の役割をしているのです。
ですから相手が私であり、互いに無意識の中で一つなのです。
ですから嫌な感情を感じたら、腹を立てるのではなく、あなたの感情をありのままに感じてあげて下さい。
私達は、感じたくない感情は押さえ込み、それに気づかないフリをして、その感情を無意識の領域に追いやります。
あなたが子供の頃、両親や兄弟が嫌いでも、嫌いな感情を見せずに押さえ込んだ感情がまだあるとします。
すると大人になって、パートナーやあなたの子供が、あなたを嫌らうようになります。
それは、あなたが隠していた感情を一番身近な人に、知らずに投射しているのです。
あなたは、自分を非力だと思いながらも、その非力さを隠して、頑張っていると、
一緒にいるパートナーや子供が、あなたの無意識を映し、非力な姿を見せます。
周りにいる人が皆んな、あなたの無意識の鏡ですから、
あなたが隠しているあなたの、本当の感情を映し出してるのです。
そして、その隠している感情を、あなたが気づくまで、その場面は続くのです。
人の何気ない態度に腹が立つ場合も、あなたの深い部分に、怒りや罪意識や羞恥心などが隠れてるからです。
私達のエゴは、嫌な感情を見ないフリをして、楽しい感情だけを感じようとしますから、
見ないフリした感情は、誰かの態度で映し出され、
それは、あなたが観てあげるまで反復されますから、
見ないフリをやめて、私は何故怒りを感じるのか、
パートナーや子供が、あんな態度を取るのは何故か?と、考える必要があります。
憤怒を感じる時は、その感情を解消する時ですから、
怒りを感じたら、
私がこの怒りを感じる理由は、私が嫌って無意識に追いやった感情なんだ、
あるいはこの怒りは、私が嫌われることを恐れて、隠していた感情だった、などと、正直に感じてあげることです。
それを表面意識に上げて、意識的に感じてあげれば、無意識は浄化されます。
エゴは、感じたくないものを嫌い、避けようとしますし、
そのエゴが私だと思い込んでいますから、
ついエゴに引っ張られてしまい、良い、悪いと区別し、避けようしますから、苦しくなります。
私達はエゴではなく観察者です。
観察者は、エゴがやっていることをただ、観て感じてあげれば良いのです。
私達は、それぞれがエゴを持ちバラバラに散らばって、バラバラな体験をしてるから、
あなたや私が、分離してる存在だと思っていますが、
私達は一つであり全体です。
全体をありのままに観る観察者であることに気づくなら、苦しみはなくなります。
私達は、私と言う個人が私ではなく、私達のそれぞれのエゴが映す世界を体験し、それを観察する観察者です。
観察者は愛ですから、どんな感情も、観察者が観て感じてあげれば、感情は癒されて消えて行くのです。