私達は現在、現実という夢を観ています。
人は「生まれていない」と、仏陀が言いましたが、その通りで、私達は私達が創った夢を観ている最中であり、
生まれてもいないから死ぬこともありません。
私達は現実を良くしたいともがいていますが、
あいにくこの世界は、嫌だと抵抗してるものが現実に現れやすく、欲しいものは中々現れません。
贅沢な生活や、有能な自分、愛される自分を夢観ますが、
それを願うほど、その逆の現実を恐れてますから、恐れてる現実が現れるのです。
恐れや絶望などの否定的な感情のエネルギーが強いからです。
そして、死んだ後はこの世界での苦しみが終わるのではなく、今の意識のままの、それがもっと拡大した現実を体験します。
誰かに恋い焦がれていた人が死ぬと、恋い焦がれ続ける苦しみの現実が創られ、
誰かを憎んでいて死ぬと、その憎しみが拡大した現実が創られます。
お金がない現実を苦しんでいた人は、極貧の苦しみの現実を創り出します。
死後世界は非物質世界ですから、考えたままに即現実となりますし、もっと苦しみが拡大して現れるのです。
そして、恋い焦がれた感情や、憎しみの感情や、お金のない苦しみの場面が現実として現れますし、その場面だけが現れ続けます。
私達が夜に観る夢が一場面だけが現れるのと同じです。
仕事が嫌だった人は、一日中仕事だけをする場面が現れ続けるのです。
そして、あまりにも苦しくなった時にやっと、現実ではないことに気づきますから、気づけば私達は別の次元に行きます。
ですが、その意識に合った世界と接続されます。
地球に合う意識は、地球に戻りますし、別の惑星に合う人はその惑星に行きます。
次の生は、現在の私達の生き方や意識と同じ次元と接続されるのです。
愛で生きた人は、愛の次元に、
憎しみで生きた人は、憎しみの次元に、
困っていた人は困る次元と接続されます。
一見、とても残酷な世界に思えますが、それは私達が錯覚から抜け出せないで居るからです。
俳優が死ぬ演技をしたのに、本気で俳優自身が死んだと錯覚するのと同じです。
その俳優が救われるのは、映画の中で演技をしていることを自覚することです。
この世界が演劇だと気づけば、私達は自由に行きたい世界へ行けますし、そういう存在ですが、
そういう存在だからこそ、錯覚したままの世界を自ら繰り返し創り出してるのです。
ですから現在を愛で生きるか、憎しみで生きるか、欲で生きるかで、
死後世界も、次の人生も決まります。
そして、この世界が演劇だと気づくなら、私達は全てから自由になれるのです。
「私という夢から覚めて、わたしを生きる」という本の著者である、中野真作という方がいらっしゃいますが、
その通りで私達は、「私という夢」から覚めない限り、この世界から抜け出せないのです。