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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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의식은 현실보다 언제나 늦다

 

의식은 현실보다 언제나 늦다고 합니다

 

우리가 오른쪽 뇌로 이동하기 위해서는 몸에 힘을 빼주는 것이라고 합니다

태어난 아기가 엄마 품에안겼을때 엄마를 신뢰하고 자신의 몸의 힘을 완전히 뺀 상태 를 상상하며 힘을 빼 줄 때

그때 우리의 오른쪽 뇌가 활동 하는데요

그런데 사람이 성장하면서 불안한 일이 생길 수록 몸에 힘이 들어 가잖아요

힘을 빼려고 해도 우리는 어딘가 힘을 주고 있어요

누워서 힘을 빼야지 하면서 몸의 근육을 관찰 해 보면

어딘가에 여전히 힘을 주고 있습니다

그 힘을 주고 있는 근육을 알아차려서 힘을 빼 주는 습관을 가지게 되면 몸 전체의 힘을 빼 줄 수 있게 됩니다

몸 전체가  완전히 힘이 빠졌을때,그때 오른쪽 뇌가 움직이기 쉽다고 합니다

이렇게 훈련하면서 자연적으로 오른쪽 뇌가 움직이기 시작하면 자연히 왼쪽 뇌가 조용해지면서 생각이 완전히 없어진다고 하네요

 


저는 그런데

며칠 동안 생각이 없어졌는데 다시 어느새 예전처럼 생각이 많아진 상태로 돌아가 버렸습니다

그래서 다시

“또 생각이 올라왔네!”

하고 알아차리는 것으로 또다시편해졌습니다

그런데 몸이 어딘가 아프다거나 할 때는 생각이 많아지네요

저는 목디스크가 있어서요

목 디스크 뿐만이 아니라 오랜 우울증으로 몸이 많이 굳어 있어서요

이런 몸 상태와도 관련이 있는 것 같애요

그런데 에크하르트 톨레라던가 바이런 케이티 같은 사람들은

조금 특별한 것 같애요

일본의 “네도쥰“씨 도 그런데요

이 세 사람의 공통점은 생각이 없어지기 이전에 굉장한 괴로움이 있었다고 하네요

너무나 큰 괴로움 을 겪으면 자아가 깨지고

자아가 깨지면서 근원으로 돌아 간다고 합니다

그러면서 생각이 없어지는것 같습니다

 

 

 

네도쥰 씨의 말은 계속 됩니다

 


“우리의 의식은

「지금」이라는 현실보다 언제나 늦습니다

 


우리는 언제나 촬영이 끝난 영상을 보고 있습니다

우리의 눈에 들어 온 지금 보고 있는 이 「눈앞의 세상」은 우리의 뇌가 인식 하기 전의 영상입니다

우리가 보이는 이 세계가 있고

빛이 있고

빛이 반사 되어 우리의 눈에 들어옵니다

냄새라던가 감촉 같은 것 들을 우리의 오감을 통해서 현실세계 라는 것을 체험하고 있는 것입니다

그러니까

우리의 뇌는 사실(事実)보다 조금 늦게 인식 을 하고

지금 이순간에 밖에 없는 전기신호로 변하면서

뇌의 뒤쪽 부분에서 영상으로 또 1번 변환시켜서

또 그것을 우리가 현실이라고 의식 하게 될 때

이때 이미

우리는 끝난 현실을 보고 있는 것입니다

그러니까 지금 보여 지고 있는 현실은 이미 끝나 있는 것이기 때문에

지금 보여 지고 있는 현실을 바꾸려고 아무리 노력 해 봐야 어쩔 수 없는 것입니다

언제나 의식은 현실보다 늦는 것입니다

 


우리 눈앞에 꽃이 있다고 생각해 봅시다

그것을 보고 향기를 맡으며 바람이 불어서 꽃 잎이 날리고 있다고 한다면

꽃 잎이 날리는 것과 날리는 소리도 들리겠지요

그것을 우리는 오감으로 느끼고 있습니다

이것은 우리가 보는 것이 먼저이고

그것을 인식하는 것이 다음 순간 이라는 것이지요

그런데 우리는

이 꽃이 장미라면 더 좋았을텐데

라는 생각이 좌능(左脳)안에서 맴돌면서 더욱 현실을 늦어지게 합니다

현실을 부정 하는 사고(思考)가 나타나는 것이 좌능을 움직여서 거기에 “영양“을 주고 있다는 것입니다

그러니까 우리는 언제나 이미 늦어 버린 상태에서 보고 있는 것입니다

그것을 마음은 알고 있습니다

 


그러면 어떻게 하는가 하면

눈앞에 있는 꽃을 볼 때

아 ! 꽃이 있네〜

라는 알아차림이 일어난 이 지점에서는

이미 늦어 있기 때문에

나타나 있는 현실을 그대로를 받아 들이는 것인데요

이때 오른쪽 뇌(右脳)의 움직임이라면

눈앞에 있는 것을 조용히 봅니다

눈앞에 있는 현실만을 깊이 느끼는 자세로 서 눈앞에 있는 것을 보고 느끼면

더욱 오른쪽 뇌 로 이동 하게 됩니다

장미가 좋은데! 라는 반응 이 아니고

눈앞에 있는 꽃을 조용히 즐겁게 관찰 하고 있을 때

오른쪽 뇌를 쓰고 있다는 것입니다

그 다음에

역시 장미라면 좋았을텐데..라는 반응 이 또 나옵니다만

그때

이런 반응도 올라오네〜

하고 알아차리면 됩니다

여기서 더 이상 생각을 하지 않고 있으면

오른쪽 뇌 의 알아차림 상태에 머물 수 있게 됩니다

 


그러니까 우리는 언제나

한발 늦었다! 라는 현실을 상대 하고 있기 때문에

부정을 하고 싫어해 봐야 아무 소용이 없는 것입니다

그리고 일어난 이 현실을 부정 한 순간 좌능 쪽으로 이행 하는 것입니다

언제나 우리는 늦어 있기 때문에 눈앞에 나타난 것을 그냥 관찰하고 즐거워 하는 것이 이득이겠지요

그리고 이렇게 관찰하고 즐거워 할 때 마음 안에서 알아차림이 일어 납니다

 


시간이라는 것은

과거→현재→미래로 흐르는 것이 아니고

미래에서 나의 「정면」 으로 흘러 오는 것입니다

이 「정면」이라는 것이 포인트인데요

그러니까

먼저 미래가 있고 미래로부터→현재가 오고→현재를 통해서→과거로 흘러 갑니다

강의 흐름이 나를 향해서 흘러 오는 것 같이

시간이 미래로부터 흘러 와서 →현재→과거로 흘러 가 사라지는 그런 느낌 입니다

시간이 나를 향해서 흘러 온다는 느낌 입니다

이런 이미지로 있으면

미래는 나를 중심으로 360° 존재 한다는 이야기입니다

이것을 모두 자기가 선택 할 수 있는 것입니다

많은 미래가 나를 향해 360° 둘러싸여 있다는 느낌

그 안에 내가 있다는 느낌입니다

당신이 오늘 아침 입을옷 을 골랐다고 합시다

그러면 지금 그 입을옷 이 당신의 미래 입니다

그러니까 이미 늦은 현실을 부정하면 부정한 미래와 마주 보고 있게 되는 것입니다

만약 꽃이 장미였다면 하며

계속 생각하고 있다면 물론 그 꽃이 장미가 될 수는 없지요

이건 아니야! 이건 아니야!

하는  생각으로 있으면

이건 아니야! 라는 미래와 마주하고 있는 것입니다

그러니까 여기는 이미 늦었다 !라는 현실이 튀어 나올 뿐 인것입니다

그러니까 이미 늦어 있는 이 현실 속에서 조금이라도 자기가 마주 하고 싶은 미래로 의식을 향하는 것입니다

이것은 습관 이라고 할 수 있지요

안 좋은 쪽으로 의식을 향하고 있으면 「싫다」라는 미래와 정면하고 있는 것입니다

반대로 「좋아」라는 의식 으로 있으면

「좋아」라는 것이 정면으로부터 흘러 오는 것입니다

그러니까 「지금」 의 늦어 있는 현재에서

어떤 방향과 마주 할까?를 선택할 수 있는 것입니다

의식으로 의 나

몸으로 의 내가 지금 정면으로 보고 있는 것을 향해 달려 갈 때

알아 차림이 일어 난 그 방향 쪽에 있는 미래가 나의 정면을 향해 흘러 옵니다

그러니까 즐거운 시간을 언제나알아차리는 습관이 되어 있으면

계속 즐거운 일들만 생기게 되는 것입니다

 


일어난 현실보다 의식이 언제나 늦습니다

그러나 우리는 알아차림의 방향을 선택할 수 있는 존재입니다

내가 지금 보고 있는 것 안에서 제일 기분이 좋은 것에 의식을 돌려 주면

그것이 미래를 향해 가고 있는 방향이 되는 것입니다

오늘 안 좋은 일이 있었다거나

그렇게 하면 안 되는데 라는 생각을 하고 있으면

그것을 알아차리고

아! 이것을 미래로 하고 싶지 않아!

아! 재미있는 YouTube라도 볼까 ?

하는 식으로 마음을 돌릴 수 있는 식으로 우리는 좋은 미래를 선택할 수 있습니다

 


우리의 주위에는 언제나 늦어진 현실이 있습니다

그렇지만 우리는 미래를 선택을 할 수 있는 존재입니다

지금 보고 있는 현실 속에서 기분이 좋은 쪽으로 의식을 조금이라도 바꾸면 그것이 좋은 미래로 향하는 방향인 것입니다

그러니까 언제나 습관적으로 기분이 좋고 몸도 편한 것 같은 그런 감각을 따라가면 언제나 좋은 미래를 마주 하게 되는 것입니다

다르게 말하면 그 습관을 기르는 것이라 말할 수 있겠습니다

이렇게 살다가 보면 어느새 이런 생활에 익숙해지면서 놀랄 정도로 매일 매일이 틀려 집니다

이렇게 살다 보면 생각이 올라와도 별로 신경이 쓰이지 않습니다“

 


☆언뜻 들으면 끌어 당김 의 법칙과 비슷한 데요

끌어당김의 법칙이 아니고 왼쪽 뇌 로부터 오른쪽 뇌 로 옮겨 가는 법칙 이라고 합니다

 

愛の欠如が創り出した幻想

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この世界は、私達の心と感情が創り出した幻想の世界です。


愛の欠如の意識がフィルムとなって映し出されてる世界です。


欠如の意識体と感情体があって、その意識と感情が人生映画のフィルムとなって現れた幻想世界です。


仏陀は、この世界は何もない「空」だと言いましたが、


私達は、「私」があると錯覚してますから、その錯覚が五感体を創り、その五感体を「私」だと思って生きています。


道や建物や車や、スマホやpcや、世界の争いの全てが、原子の集まりであり、私達の意識が創り出したものです。


私達は本来一つですが、分離した存在があると思いこんでいるだけです。


原子の周りを電子達が早いスピードで、押し合いながら回ってますから、


自身の意識が創り出した他人や世界が、目に見えるし触れるのです。


私達は、自分自身が創り上げた世界に騙されていて、
世界や、他人や、私がいるという錯覚を生きているのです。


愛されたい、金持ちになりたい、人より賢くなりたい、人より幸せでいたい、人から馬鹿にされたくない、無能だと思われたくない、などと考えながら生きていますが、


ですが全ての人は私であり、その全てを私が創造した想像物です。


愛のない両親や、優秀に見える他の子供達も、全てあなたの想像物です。


あなたは、あなたの欠如の意識がこの幻想世界を創って観ているのです。


あなたの意識に貯蔵されてた執着がこの世界を創り続けているのです。


愛への執着である愛の欠如の心が、この世界で愛のない両親を選んで愛のない体験を創っています。


その両親も愛のない人生を生きてますから、愛のない子供を創造します。


自身の想像物である、私の親は愛がない酷い人だと恨み、悲しみ、


私の子供は他の子供達と比べて無能だと思い、子供を嫌い、育児放棄をしたりします。


私達は、自分自身が創り出した自分自身を観てる事実に気づきません。


どうしてわざわざ欠如を選んで生まれるか?


欠如から満足を体験出来るからです。


欠如の反対側に満足があるからです。


不足の反対側に満足があり、
憎しみの反対側に愛があり、
悲しみの反対側に喜びがあります。


この二元性のストーリーには必ずプラスとマイナス、隠と陽がありますし、


影が濃ければ、光も強いですから、
強い欠如はその分、強い満足感として現れます。


私達は私の欠如を埋めて、私を完成させる為に、その反対側の現実を創造して体験しているのです。


全てはあなたの分離された意識と感情がこの世界に体を創って体験し、その体験を通してあなた自身の完成を目指す過程にあるのです。


影が濃い、苦しい人生ほど完成の近くにいます。


あなたより優れて観えるあなたの周りにいる全ての人達を、羨ましがったり、嫉妬して、それを上回る自分になりたいと願い、虚しい努力をしていますが、


全てが、あなた自身の想像物です。


私達は愛の欠如を通して、反対側にある充分な愛を見つけるゲームの最中です。


この世界は幻想であり、私達の欠如の意識と感情が創り出した幻想世界なのです。

死後世界と次の世界

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私達は現在、現実という夢を観ています。


人は「生まれていない」と、仏陀が言いましたが、その通りで、私達は私達が創った夢を観ている最中であり、


生まれてもいないから死ぬこともありません。


私達は現実を良くしたいともがいていますが、


あいにくこの世界は、嫌だと抵抗してるものが現実に現れやすく、欲しいものは中々現れません。


贅沢な生活や、有能な自分、愛される自分を夢観ますが、


それを願うほど、その逆の現実を恐れてますから、恐れてる現実が現れるのです。


恐れや絶望などの否定的な感情のエネルギーが強いからです。


そして、死んだ後はこの世界での苦しみが終わるのではなく、今の意識のままの、それがもっと拡大した現実を体験します。


誰かに恋い焦がれていた人が死ぬと、恋い焦がれ続ける苦しみの現実が創られ、


誰かを憎んでいて死ぬと、その憎しみが拡大した現実が創られます。


お金がない現実を苦しんでいた人は、極貧の苦しみの現実を創り出します。


死後世界は非物質世界ですから、考えたままに即現実となりますし、もっと苦しみが拡大して現れるのです。


そして、恋い焦がれた感情や、憎しみの感情や、お金のない苦しみの場面が現実として現れますし、その場面だけが現れ続けます。


私達が夜に観る夢が一場面だけが現れるのと同じです。


仕事が嫌だった人は、一日中仕事だけをする場面が現れ続けるのです。


そして、あまりにも苦しくなった時にやっと、現実ではないことに気づきますから、気づけば私達は別の次元に行きます。


ですが、その意識に合った世界と接続されます。


地球に合う意識は、地球に戻りますし、別の惑星に合う人はその惑星に行きます。


次の生は、現在の私達の生き方や意識と同じ次元と接続されるのです。


愛で生きた人は、愛の次元に、
憎しみで生きた人は、憎しみの次元に、
困っていた人は困る次元と接続されます。



一見、とても残酷な世界に思えますが、それは私達が錯覚から抜け出せないで居るからです。


俳優が死ぬ演技をしたのに、本気で俳優自身が死んだと錯覚するのと同じです。


その俳優が救われるのは、映画の中で演技をしていることを自覚することです。


この世界が演劇だと気づけば、私達は自由に行きたい世界へ行けますし、そういう存在ですが、


そういう存在だからこそ、錯覚したままの世界を自ら繰り返し創り出してるのです。


ですから現在を愛で生きるか、憎しみで生きるか、欲で生きるかで、


死後世界も、次の人生も決まります。


そして、この世界が演劇だと気づくなら、私達は全てから自由になれるのです。


「私という夢から覚めて、わたしを生きる」という本の著者である、中野真作という方がいらっしゃいますが、


その通りで私達は、「私という夢」から覚めない限り、この世界から抜け出せないのです。

どうして愛のない両親から生まれたのでしょうか?

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私達の現実は、私達の無意識が創造した世界です。


私の心の投影を、私が演劇として脚本を創り、演出し、演じながら体験しているのです。


ですから、あなたの周りに居る人達は、あなたが創り出した創造物です。



もしあなたが付き合ったどの人とも同じ過ちを繰り返して、


傷つき、悲しみ、腹を立て、未練を持ち、又求めて、又傷つくのを繰り返して、


あの人が悪い、いや私が悪いかも、あるいは性格が合わなかったなどと解釈します。


もしいつもこんなサイクルが続いてるなら、あなたは、あなたの無意識の支配を受けています。


私達の現実は、私達の無意識が創造した世界だからです。


この世界は私達の心が反映した、私達の心の中ですから、

私達が生まれた瞬間から現れた全ての現実は、


私自身が企画、脚本、演出、制作したものです。


私達は子供の頃に関わった両親と兄弟関係で、ほぼ人生が決まります。


この時の感情が私達の無意識を作ります。


現在人間関係が大変だと感じている人は、両親との関係が上手く行かなかった人です。


家族と自身の感情が共有されなかった為に、他人との感情との共有が上手く行きません。


この関係は、愛の欠如から起きて来ていますし、その欠如が更に愛の欠如を作り出します。



愛の欠如は、無関心、非難、恐れ、傷つく状態で形成されます。


このような幼年期を過ごした人は、大人になっても正しい人間関係が作れず、


子供の頃に形成された感情が、大人になった時に二次的な被害となり、無関心、非難、恐怖、傷つきやすい性格で再形成されてますから、


その人の無意識は三次的に、愛されない私、捨てられた私、傷ついた私、被害を受けた私、悔しい私、認められたい私が作られます。


四次的の被害は、両親を喜ばせることが出来なかった私、被害を与えた私、傷を与えた私、失望させた私という沢山の感情体が無意識に入って貯蔵されます。


そして五次的には、間違えた私、罪深い私、価値のない私、無能な私、死んでもいい私が、形成されます。


すると、他人に対して補償しなきゃならない私、良い子になる私、他人を助けなきゃならない私、他人を満足させなきゃならない私、犠牲になる私が形成されます。



これらの感情体が貯蔵された無意識は、

他人から愛を求めて、認められ、関心を得ようと頑張ります。


そして無意識的に、無関心、避難、無視などを極度に恐れ、


その無意識が、現実になった時に、大きなストレスを感じます。



私達の無意識にある欠如は、現実の欠如を投影させます。


結局は、誰も私を愛してくれない人達を創り出します。


現実は外から創られるのではなく、私の心の中から創られてるのですから、
欠如は欠如として体験されます。



どうして、愛のない両親から生まれたのでしょうか?



私達は沢山の輪廻を通して体験している間に、沢山の感情体を無意識に貯蔵して来ていましたから、


その感情体が魂に記憶されていて、次の転生に影響されます。


愛されない私は、愛されない体験をする為に、愛のない家族を創造しました。


全ては私達が、それを体験するためにプロミングした通りの、人生を体験しています。


ですから、私達自身がその両親や家族を選んだのです。


私達の人生は偶然の産物ではありません。


私達が輪廻の間に、人生映画を実際だと勘違いしてるうちに、悲しみや悔しさなどの体験が、更なる大きなストレスの体験を重ねて、


どんどん、辛い人生映画を創り出したのです。


本質を忘れた私達は、自由意思のない人生を生きることになります。


人より辛い人生だと思う人は、輪廻が長い為に、自らの映画にハマり、長い間のストレスのせいで更に辛い体験を、自ら創り続けているのです。


そして苦しみの果てに私は、

何故生きるのか?と考えます。


私が、愛のない配役を創造して、私に愛のない現実を体験させ、


演劇から目覚めさせる為に、自らプロミングして来た脚本だからです。

競争社会の末路(アトランティス)

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アトランティスが崩壊したのは、一言で言えば、アンバランスが生じたからです。


実は、私達の世界の秩序を作っているのは、目に見えない小さな世界です。


これは当然分子や原子、素粒子などの量子の世界もですが、


実は微生物達も、私達の精神や思考や感情から、肉体的な機能に至るまで、あらゆることに非常に大きな影響を与えています。


第一章でパンデミックの話しをしましたが、このことに当時の宇宙世界が気づいたために、当時の宇宙文明は全ての価値観を見直しました。


(第一章の内容ですが、約40年前に、ある銀河で発生した新種のウィルスが爆発的感染が起こって、
感染した生命体は、狂ったようにアグレッシブになった。
おびただしい数の生命体が、互いに殺し合った。
「アインソフ議会」はウィルスの発生の原因を追求。このウィルスは無気力で無意識状態になっている生命体にのみ感染することが解った。
同じ状況にいても積極的に考え、行動している存在には感染しなかった。
そして、ウィルスとの闘いを放棄するという決定をした。
ウィルスは賢くて、免疫体を作るとそれを上回るウィルスが現れるから、終わりなき闘いとなるからだ。
その代わり宇宙に存在するあらゆる生命体が、再び生き生きとした好奇心を持って、意欲的に積極的に生きるような世界を目指して、新たなテクノロジーを研究する方向へと、かじを切った」


今の地球もそろそろこのことに気づくべきタイミングが来ています。


さて、アトランティス社会でも格差が広がり、バランスを取ることが難しくなると、


どんどん微生物の種類は増え、暴力的な微生物も現れました。


それを抑えることはできませんが、自分の中に暴力的で攻撃的な面がなければ、攻撃的な性質を持った微生物と共振することはありません。



貧困な人達は常に不満を抱いていましたから、イライラしていてちょっとしたことでも腹を立てます。


そこで、さらに攻撃的な微生物を取り込み、そのような怒りが激しくなります。


優秀で微生物を研究する側だった人でも、競争社会となって来ていたので、強い競争心からアグレッシブな微生物に感染してしまう人も出て来ます。


そうなるとその頭脳を平和ではなく、自分が優位に立つ為とか相手を滅ぼすために使うようになり、


互いのテクノロジーでダメージを与えあったりするのです。


こうして文明は滅びて行きました。



(池川明さんの「魂の目的」という本の中で、宇宙の記憶を持つサアラさんが語った内容の一部です)


池川明さんや、サアラさんの本は又購入したいですね。
分かりやすくて興味深い内容がもり沢山です。

次の人生はどこに転生するのだろう

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次の人生はどこに転生するのだろう  

(この内容は、池川アキラさんの本「魂の本当の目的」の中で、宇宙記憶を持ったサアラさんが語った内容の一部です。)

もちろん地球にいた人が再び地球に生まれてくることも稀ではありません。

しかし、それ以外の惑星や、シップを選択する魂ももちろんあります。

ですから、皆さんも次の人生が必ず地球人とは限らないわけです。  

むしろ、今地球に生きている人のほとんどは、別のエリアか別の宇宙文明を選択すると思います。

なぜなら、ここでの経験は他の世界とは圧倒的に違います。

そして皆さんは輪廻という地球独特のサイクルの中で、何度も繰り返して地球人を経験してきました。

このような経験は非常に稀です。

この経験から得た様々な智恵や力を、宇宙の他の文明にシェアする必要があるからです。  

転生のために必要な情報をマスターソウルから取り込んで、可能性を追求するためにまた転生していきますが、

そのマスターソウルにたとえばシリウス文明に関する情報が何もないとすれば、

あえてシリウスに転生することはまずありません。  

しかしもしそのようなことが起きるとすれば、それは大変な冒険となるでしょうね。

ある意味、地球人のマスターソウルは次に魂を様々な世界に送り込むことになりますから、

それぞれのマスターソウルも、そして送り込まれる魂も、大きな冒険に挑むことになるでしょう。  

しかし、それとは別に、私のように最初から地球の進化をサポートするテーマを掲げて、自分自身の成長のためにはもちろんですが、

地球社会やマザーアースに貢献するためにも、他の文明の経験をたくさんする場合もあります。

ですから、ここ何十年かは、そのような魂が続々と地球に送り込まれてきているように思います。

無知と分離を選んだ私

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私達は、私は誰か?を知る為に、今の人生体験を選びました。


戦争や暴力や、人同士の葛藤や憎しみなどを体験する必要がありました。


私は、私を知る為に、私でないものを体験しているのです。


愛を知る為に憎しみを体験する必要がありました。


愛を知る為に悲しみを体験する必要がありました。


私達は相反するものを知って、反対側にあるものを知ることが出来ます。


ですから私達は、愛から離れた無知の世界に居る必要がありました。


無知が大きければ、愛も大きく現れます。


もっと分離していなければ、もっと大きな愛に気付きませんから、


私達は、あなたと私に分離され、憎み憎まれて、捨てて捨てられる体験をしています。


私達は自らこの体験を選びました。


ですから、残酷すぎるとしても、
私達自身が選んだものですから、
誰にも罪はありません。


私は一人であり、一つですから、
自分が自分を観たり、自分を知る体験が出来ません。


私は私の目を見ることは絶対に出来ないから、私達は私を見る為に、私の鏡が必要でした。


現実は苦しい、悲しい、腹が立つと、口を揃えて言いますし、


こんな世界に神なんている訳ないと、思いますが、


平和がある為に葛藤が必要で、葛藤がなければ平和も存在出来ません。


喜びを知る為に苦しみが必要で、苦しみが無ければ喜びも感じません。


完全を体験する為に、不完全の体験が必要ですし、不完全がなければ、完全もありません。


私が一つだと知る為に、あなたと私で分離されています。


私達の今の人間としての体験がなければ、神という認識も現れません。


相反する悲しみや苦しみや怒りがなければ、私達は、愛も平和も喜びも感じません。


ですから私達は、この物質世界を選びました。


苦痛が大きければ大きいほど、私への認識がはっきり現れます。


先祖代々、捨てたり、捨てられ、辛い感情を抑圧された集団の中では、目覚めや覚醒者が多く生まれます。


今までの世界とは違って、ほとんどの人が目覚める段階に入っています。


ですから、私達の苦しみや辛い感情が解消される為に、色々なことが起きています。


苦しみが目覚めの体験を呼びますから、私達は、苦しみと目覚めの両方を体験出来ます。


両方とも体験出来れば、その後は、何の体験も現れません。


何の体験もないという事は、私達は根源の心でいますから、根源の心は静かで動きがありません。


動きがないという事は、新しい動きが創造されるという事です。



  ーナタンー