私達はロバに乗ってロバを探し回っていると仏陀は言います。
私達は既に幸せなのに、幸せを探し回っていると言うことです。
私達に何かの目的があると、
その目的が実現しない間は、
どれだけ幸せな状況にいても、その幸せに気づかずに、
目的ばかり気にしています。
そして、その目的が実現するまでは、不満で不幸せです。
給料が月に10万で満足する人は、10万で常に幸せです。
そして、ある時に20万が入って来ると大喜びします。
給料が100万なのに、それでは足りないと思ってる人は、
常に不満で、足りないと言う気持ちですから不幸せです。
そう言う人は、200万入って来ても、足りないと不満がり、いつも不幸せです。
人は何かしらに執着しますし、執着している間は不幸せなのです。
恋人や家や仕事などがありますが、
自分では、気づいていない執着もあります。
宗教などの、本人が絶対的に信じてることもそうです。
この世には絶対と言うものは有りませんし、
考え方や概念も色々ありますから、
自分の概念や考えが絶対だと信じるのは執着に過ぎないのです。
私は、友達同士では哲学を語り合うべきだと、揺るぎない信念がありました。
そして、そのような友達を探し回ってましたが、
一向に現れませんでしたから、
私は常に不満で、不幸でした。
今考えると、私はどこかで創られた幻の信念を、それを絶対だと信じて、手に入れようとしていたのです。
ですから、どんなに良い人や楽しい人といても、私は常に不満だったので、
相手の良い部分が観えませんでした。
執着しているものを追いかけていると、それが手に入るまでは幸せではないのです。
そして、幸せじゃない理由を、目的のものが、手に入らないからだと思っています。
例え、欲しいものが手に入った時の一瞬は、幸せを感じても、
又、それに不満な部分が現れますから、
又、別のものを探し回るのです。
私達は、虚像を追いかけています。
人は何かしらに執着して、それを手に入れる為に必死になりますが、
欲しいものは、
外にはないのです。
私達が本当に欲しいものは、私達の中にあり、
執着しているものや、虚像を捨てた時に、やっと観えて来るのです。
虚像が消えた瞬間に、全てがありのままに観えて来ます。
そして、その美しさや、喜びに、魅了されます。
あなた自身や、目の前に観える全てのものが美しく、全てが喜びだと気づくのです。
あなたは既に持っていて、既に充分で、既に幸せであったことに気づくのです。