私達が死と言うものは、
体がなくなるだけです。
肉体がなくなると、私達は意識だけになります。
体と言う限りがなくなりますから、
限りない意識となり宇宙意識となります。
ですから死んだ後は全ての意識が繋がった私達が、
一つになるのです。
仏陀が托鉢をしながら生きることが出来たのは、
人は宇宙に守られてることを知っていたからなんですね。
食べなくても死ぬことがないし、
人から食べ物を与えてもらうことで、
その相手に慈悲の機会を与えていたのです。
僧侶とは一人でいると言う意味のようです。
現実に、私達は一人です。
他人はいないのです。
ですから私達は他人と戦う必要がないのですが、
それを知らないから戦うのです。
無知な私達の戦いの気持ちに、苦しめられてのです。
私達が「私」と自分を指して言っていますが、
本当は「私」は居ません。
私達は毎日色々な考えが上がって来て、それに苦しめられますが、
考えも事実ではないのです。
私達の自我は私達を守るべく考えを巡らせますが、
私達が「私」と言う存在がないことに気づき、
他人もいないことを知れば、
自分を守ろうと思いません。
私達がそれを知れば自我は静かになります。
今までのように自我が、色々な問題を持って来て、
解決するべく、あれこれと考えを巡らせることがなくなるのです。
宇宙の真実を知れば、
困ることが、誰一人いないことを知りますから、
皆んなが平安の中に居られるのです。