「縁生無生」と言う仏教の言葉があります。
(縁があって生まれているけれど、生まれたものはない)と言う意味のようです。
私達が毎晩の夢の中では、観ている夢が現実だと勘違いしていますが、
覚めると夢だと気づきます。
そして、
私達が現実だと思っているこの世界も夢なのです。
私達が生きている、現実だと信じているこの世界は、
「無常」なのです。
人もものも現れては消えます。
私達が執着したものは全て、私達から離れて消えて行きます。
そのように決まっているのです。
私達自身も実態が有りません。
縁によって細胞などが集まってるだけのものです。
私達は生まれてはいないのです。
私達は一瞬の夢の中にいながら、この世界が現実だと錯覚して生きているだけなのです。
高価なものや、良いものに囲まれていても、
夢は覚めるのです。
私達は、自分が誰か?を、知りません。
自分自身のことを充分知っているつもりでいても、本当は知らないのです。
私は誰か?と、
考えれば考えるほど分からなくなるのです。
ですから、
この世界は夢の世界であり、その夢の中で、人やお金を追いかけて奮闘してるのです。
そして、死を迎えて細胞が散った後に人は目覚めます。
生きてる間に、憎みあっていたり、敵だと思っていた人々が、
皆んな一つであり、
皆んなが愛で繋がっていることを知ります。
夢だったのだと知って大喜びします。
体を脱いでからようやく、自分が誰か?に、気づくのです。
その喜びを生きている間に気づくなら、
私達の「生」はどんなに楽しいでしょう。
「無常」と言う言葉の通りに、
集まっていたものは散ります。
いつかは散る「無常」の世界であり、夢の世界だと知っていれば、
この一瞬だけを観るようになります。
過去や未来のことで悩むこともなく、
持っている、持っていないに関係なく、
この一瞬に集まっている縁を喜び、
現れて来るものに、
愛と感謝で生きることが出来るのかも知れません。