私達の人生は、根源の考えの中にあります。
根源は観察者であり、観察者は私達であり、私達は根源の心です。
最近は、この世界は幻想、あるいはシュミレーションなどと言われることが多くなりましたが、
私達全体が一つの夢を観ているのだとも言えます。
一人一人分離し、それぞれが自分の考えを持って生きてるように見えますが、
私達の人生は、根源の考えの中で繰り広げられてる夢ですから、
あなたや私が考えてるそれぞれ違うように見える考えも、
根源から出た一つの考えです。
あなたが何かを考えたり、それに対して感じる感情を、一々あなたの感情だと思うと苦しいですが、
その考えや感情を観ている根源が、あなただと言うことを知るなら、苦しくなくなります。
私達が夜に観る夢のように、
私達の人生も、根源が観ている夢でもありますから、
私達が個人としての私から離れて、根源としての私を生きるなら、
根源の一部ではなく、全体として観ることが出来ます。
色々な人生があり、一人一人考えも違いますが、
私達の考えには法則があり、その法則を知れば、人は皆んな一つだと思えるようになります。
例えば、あなたが誰かに迷惑をかけてしまったと考えてるとしたら、
反対側には、迷惑をかけられたと言う考えが同時に現れてるのです。
ですから、迷惑をかけたあなたも、かけられるあなたも一緒であり、一つですから、
迷惑をかけられると言う相反な考えがいずれ経験として現れるのです。
あなたが、人のお金を盗んだとしたら、
あなたのお金が盗まれると言う考えも反対側にあり、
あなたのお金が盗まれる現実が現れます。
あの人に傷つけられたと思っていると、あなたがあの人を傷つける現実が現れてます。
両方ともあなたですから。
根源があなたですから、根源の考えの中で、あなた一人で遊んでいるのです。
私達の考えや感情は常に相反する姿で現れていて、上がったり下がったりしますから、
その感情につられて行くと、両方を体験し合う、苦しみのサイクルを生きることになります。
私達はエゴが私だと勘違いして必死になってるから苦しいのです。
ですが、何かの考えや感情が上がって来た時に、私達が観察者として物事を観るなら、
考えや感情から離れて、余裕を持って生きることが出来ます。
波が次から次へと起きる海の中で、その波と格闘する必要はないのです。
海から出て、海の波を優雅に眺める者があなたであり、
全ての物事を見つめている者があなたです。
ですから、起きてくる考えや感情と戦う必要はないのです。
起きてくる考えや感情と一緒になって、上がったり下がったりと言う、
ゼットコースターのような人生を生きるのではなく、
海の波を眺める側、つまりあなたが観察者として生きるなら、
波打つ海から出ることが出来ます。
そして、海全体を眺めるように、優雅に生きることが出来るのです。