私達が死ぬ時に持って行けるものは、私達の意識ですから、
私達の考えや感情は死んでもついて来ます。
人が死にたいほど苦しみを感じる時は、全て考えや感情ですから、
その為に自死をする人もいますが、死んでもその意識から離れることは出来ないのです。
そして、
生きてる間に地獄があると信じてた人が死ぬと、
その通りに地獄を観ます。
私達は、クリエイティブですから、私がクリエイティブにイメージしたままの地獄が作られるのです。
つまり、私自身がイメージしたままの地獄を私が作って、私が体験するのです。
私達が死んでも意識はそのままですから、初めは自分が死んだことに気づきません。
ですが、体がなくなると意識が軽くなりますから、考えたままに現実として現れるのです。
ですから、地獄があると信じていた人は、死んだ瞬間から自ら地獄を作り、自らそれを体験するのです。
死んで天国へ行く自信があった人は、天国へ行きます。
その天国も自分自身の意識が創り出したものですが。
私達は本来、思ったことは即現実化する力があるのですから、非物質世界へ行った瞬間から、私達の考えの全てが現実化するのです。
ですが、地獄も天国もありませんから、地獄を観る人も天国を観る人もいずれ、死んだことに気づいて、光へ向かいます。
私達が人生体験をする理由は、否定を体験して、否定から肯定へ行きたいのです。
大変な苦しみの末に人が目覚める理由は、
否定の感情の後に肯定の感情が来るからです。
感情は、常に反対の感情も一緒に現れてますから、
苦しみを感じ切ると、一緒に現れていた喜びや至福を感じられるのです。
特に、鬱などのつらすぎる苦しみの後に来る喜びは、消えることがない確実なものです。
私達の魂はこの体験をしたくて、生まれるのですが、
大抵の人は苦しみの感情を感じたがらず、見ないふりをして生きて行きますから、
それで辛い感情を持って帰ることになるのです。
考えや感情が現れるままに、観て感じてあげれば、考えや感情は消えます。
考えや感情を、自分の意のままにしようとしても出来ませんし、
又それは、考えや感情と戦う姿勢ですから、余計に大きくなります。
感情は戦うと大きくなりますし、
感情を意のままにしようとか、感じないフリ、忘れたフリをすればするほど、感情はあなたの中に入り込みますから、更に大変なことになるのです。
考えや感情が現れたら、
その時にそのままの気持ちを感じてあげることです。
考えや感情が動くままに、それを見つめてあげればいいのです。
少しでも抵抗すると、感情は大きくなって、しつこくついて来ますが、
考えや感情が動くままに、抵抗せずに観て、感じてあげれば、考えや感情は消えます。
私達自身が本来愛です。
愛の私が見つめてあげれば、
考えや感情は感謝して、根源の愛の空間へ帰ることが出来るのです。