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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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私と言う幻想への執着

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私達が毎晩夢を観るように、人生も私達が観ている、長い夢の中です。


夢のなかで私達は家族や財産を守ろうと必死に頑張っています。

出来れば人より多くを得ることが良いし、家族もその分幸せなはずですから、

それが出来るように頑張ることが自分の責任だと思いますし、

そして、満足出来る、あるいは自慢出来る自分になろうと頑張ります。

少なくとも、私は、自分に恥ずかしくない人生を行きたいと思っていますから、

私は、私から一瞬たりとも目が離せず、私を監視し、私に命令し、私はこうするべきだ、私はこうあるべきだと、一日中私の尻を叩きます。


ですが思い出せばどんな人も、一瞬、私を忘れている時があったはずですし、

その瞬間の素晴らしさを記憶していると思います。

私が、私を、忘れている忘却の瞬間こそ平和と愛そのものであったし、

又、その時は、全てが上手く行ったことを記憶してるはずですが、

本当は、私達は全てを知っていながら、私は知らないと思い込んでいるのです。


火事場の馬鹿力と言う言葉は、私が私を忘れた忘却の瞬間だけ、宇宙である私の本来の力で動ごいたので、

本来の私の凄い力が発揮出来たのです。

ですから私が、今の私を忘れるなら、本来の私に戻って宇宙と一体になれるのですが、

逆である今の偽の私に執着しているのです。

火事場の馬鹿力は、偽の私を忘れた為に、一瞬に並行宇宙にいる全ての私と繋がって、

全ての力が私の思いのままに集まったのです。


なのに私は、現実という妄想の中に舞い戻って、お金と、権力と、人に執着し始めます。


お金や人への執着は、私、への執着です。


私はいないのに、私は有るという、錯覚が私を苦しめているのです。


毎時、毎分を、私が、私が、と、

始終私だけを考えています。


そして、私のお金、私の権力、私の名誉、私の家族、私の家、私の体。

私という幻想を抱えて生きているのです。

私と言う幻想しか見ないから、周りが見えなくなるのです。

本来宇宙全体である本来の私を忘れているのです。


私が私と言う幻想を忘れている時に、宇宙が現れ、私と一体になるのです。

すると、並行宇宙に散らばっている沢山の私が一瞬で集まり、沢山の力が発揮出来ます。


この人生と言う夢を、夢だと気づけないのはまるで、

コンピュータゲームの中にあるアバタのようで、

アバタがゲームの世界が全てのように錯覚をしているのど同じだと言えるかも知れません。

ゲームの中でアバタが必死になって、お金や権力を追いかけていても、それらがアバタのものにはなりませんし、

アバタは電気信号で動いているだけの、人が作った虚像に過ぎません。

電気信号が止まればアバタも止まるのです。


人も五感と言う狭い世界の中で、この世界だけが全てだと思って生きてるから、苦しいのです。


私達は、五感の外に存在するものです。

五感の外から五感の中の私を観ています。


私達が、私が、私が、と、

一日中私だけを考えている私に、外の私はいろんな信号を送ってますが、

私達は、その信号に気づくことが出来ないのです。

一瞬でも私を忘れるなら、私が送る信号を受け取れますし、五感の世界の外側を観ることが出来ます。

そしてお金や名誉、私の家族、私の全てが虚像で、虚しいものだったと気づきます。


始終私から心が離せず、私と言う幻想への執着で、いっぱいになっていたことに気づくなら、

私達は、ゲームの世界から、本来の私へ戻れるのです。

現実はあなたの限りある考えの中

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今あなたは、3次元を生きてると思っていますから、

朝起きて仕事に行く支度を始め、会社に行って仕事に追われ、仕事が終わるとホッとして、

友達や恋人と会ったり、家族の元に帰って、ビールを一呑みながら、YouTubeやゲームを始めるかも知れません。

ですが、これらの全部は、あなたの考えの中で起きてることです。

あなたが、朝起きて会社へ行かなきゃならないと考えてるから、

朝起きたら、会社に行く場面が現れるのです。

会社に行くと考えるから、会社が目の前に現れ、
仕事をしなきゃならないと考えるから、
仕事をする場面が現れるのです。

お金がないと思うから、お金がない場面が現れるのです。

恋人に会いたいと思ってるから恋人が現れます。

パートナーが嫌いだと考えるから、嫌いなパートナーが現れます。

あなたが動いてるのではなく、周りがあなたの考える通りに動いて、見せてくれるのです。

あなたが動いてるのではなく、あなたが周りを動かしてるのです。

全てであるあなたが考えてるから、全てがあなたの思い通りに動くのです。


あなたは今、空間と言う紙の前に座って、水と、ペイントのエネルギーを使って、人生と言う絵を描いて遊んでいるのです。

無限のあなたは、水もペイントも、あなたの思い通りに使えるのに、足りないと思い込んでいるのです。

足りないと言う考えをペイントに使いますから、水がペイントをどんどん薄めて、ない場面を創り出してますし、

私の人生は素晴らしいと考えてるなら、カラフルなペイントと、ちょうど良い加減の水の量が現れます。


私達は考えの中にいるのに、現実が実際あると勘違いしているだけです。

私達の体も会社も部屋も、全て私の考えの中で動いているだけです。

私達の集団意識が地球と言う星を創って、地球はこう言う星だと決めて、同じ夢を観ているのです。

巨大な空間に、それぞれがペイントと水を持って考えたままに絵を描いて、遊んでいるだけです。

神は他にいません。

私達が神です。

神が、私は悪い人間だ、私は罰せられるべき人間だと思ってるから、その通りになるのです。

神は現実の遊びに夢中で、自分が誰かを忘れているのです。

私達は集団意識であり、一つのエネルギーです。

集団意識が決めた遊びのルールにハマって、それから抜け出せないでいるだけです。

地球では働いてお金を稼がないと、食べていけないゲームのルールです。

霊的成長の為に創られた学びの場所でもありますが、

これに気づくなら苦しみは消えます。

目の前に観えてる物体は、あなたの考えが、宇宙の光に反射して、映し出してる映像に過ぎません。

私達は、自らの考えを観て、自ら驚き、悲しみ、苦しみます。


私達は限りない非物質界から、限りある物質界を覗いていて、過去の失敗を思い出して悲しみ、見えない未来を恐れています。

私達は自ら、地球と設定した3次元世界を覗き、限りある世界を体験していて、

3次元の言葉で言うと、物質に執着しているのです。

お金がないと生きていけないと言う怯えの考えは、お金しか考えないから、

同じ考えの持続の力は、
お金をどんどん巨大なものにさせて、自分ではどうにもならない難しい相手と見なせて、

毎日のように脅かされ、恐れるべき相手と見なし、勝手に怯えているのです。

この遊びを見抜くのが目覚めです。

目覚めるとやっと、自分は「限りない者」だったことに気づくのです。

考えや感情は錯覚

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私達の人生は私達自身が創った映画で、

どんな家か、どんな両親に生まれるか、の初期設定を自らして、

それぞれが決めた設定や、役割によって感じる感情を体験する為ですが、

しかし、あまりにもその関係が辛いなら、その関係から離れることが良いかも知れません。


家族の場合は相手が成長しても、小さい頃と同じ態度で接しやすいですし、

家族の中で一番下に生まれた人は、甘えん坊だと言われますが、

それは、周りの人達がいつまでも、そういう見方をするから、いつまでも甘えん坊でいるのです。

あるいは、一番下だから、弱い者扱いや、自分達のストレスをぶつける者のように扱われてしまい、

そのように扱われて育った人は、外に出てもそのように扱われやすいのです。


それは、生まれた時からそのように扱われたので、
自分はそのように扱われるべきの価値のない人間だと思い込んでるからです。


自分は価値のない人間だという間違った考えで生きるのは、辛すぎますから、

その考えは、周りから刷り込まれた間違った考えだと気づく必要があるのです。

それに気づく方法は、その考えが上がって来た時に、考えの中に入って観てあげることです。

考えはあなたが、周りからこういう見方をされてるよ、と教える為に現れてますから、

そう見られてるんだね〜と、いう風に認めるだけで、その考えはあなたから離れます。

そう見られてるんだね〜と認めれば、次の考えの、そう見られない為にどうしたらいいか?のような考えが現れます。

その時は、あなたは一つ高いラインに立つことが出来ていますが、

ですがまだ、苦しい考えを嫌って観ないフリをしたり、逃げたり、抵抗すると、その考えはしつこくついて来ますから、

いつのまにかあなたは、その考えが自分だと勘違いするようになります。


「間違った考えと自分を同一視」してしまうのです。


両親や兄弟達に、あなたは駄目な人間だと、知らず知らず思い込ませられたものを、

あなたは、それが本来の自分だと思い込んで苦しむのです。


考えや感情は、全て錯覚です。


ですが、その考えから逃げてる間は、その考えから離れられないのです。


あなたに刷り込まれた考えや感情を、あなたが観てあげて、
ああ、そう思われてるんだな〜と、

認めるまで考えはあなたから離れないのですから、

あなたは、いつまでもその考えを捨てられずに、駄目な自分の役割を演じ続けるのです。


ですが実は、駄目な役割を演じてるのがあなたではなく、

あなたから離れることができないでいる考えが、あなたの中で人格化して、あなたのフリをしているのです。



駄目な自分という考えの同じライン上には立派な自分という考えが現れているのですが、

駄目な自分を受け入れないから、立派な自分も立ち止まってるのです。

駄目な自分だと考えてる自分を受け入れた時に、立派な自分が現れるのです。


ですが、それでも周りの人達が駄目なあなたという見方を続けるなら、
その人達から離れた方がいいです。

そういう見方を続ける人達は、自分の弱さを他人のせいにしたいのです。

そしてあなたのせいにして、自分達の弱さを、あなたに刷り込ませて、弱い自分から逃げているのです。


目の前にいる人を絶対認めない人達は、自分自身を認めない人達ですから自分に自信がない人達ですが、

あなたがそういう人達の影響を受ける必要はありません。

一緒にいた人達から離れるのは、始めは怖いかも知れませんが、怖い感情も良く観察して、受け入れてあげれば、

反対側にあった勇気の感情が現れますから、行動に踏み切れるのです。

あなたを引き下ろす人達から離れれるなら、

駄目な自分を演じる役割をしないで済むので、本来のあなたに戻りやすいし、

すると本来の勇気と自信が湧いて来ます。

あなたを引き下ろす人達は、自分に自信がないから、あなたを引き下ろして、自分を上げたいのですが、

現実はそうなれないから、いつまでもあなたを苦しめます。

するとあなたは、いつまでも自信のないあなたを演じ続けるしかないのです。


自信のある人達は、他人の良い部分を観てくれます。

自信のある人達は、あなたを引き下ろしたりしません。


もしパートナーや、友達が、微妙にあなたを引き下そうとするなら、自信のない人ですから、

そのパートナーや友達からも出来れば離れた方が良いです。


人は、周りから見る目の影響を受けやすいのです。


量子は周りが観るように動くのですから。


ですから、あなたが変わる努力をするのではなく、
あなたをどんな見方をする人達かを、見極めることが肝心です。

あなたを正しく観てくれる環境があなたを変えるのです。


もしあなたがまだ未成年であり、どうしても環境を変えられない場合は、今の自分の考えや感情を観察してあげて下さい。

そして、私は今このような考えでいるんだ…?と、素直に認めてあげて受け入れてあげれば、

同じライン上に上がってる反対側の、ステキな考えが現れてくるのです。

駄目な自分から立派な自分、

弱い自分から強い自分、

出来ない自分から出来る自分が現れるのです。

それからは、辛い人生映画が、いつのまにか楽しい人生映画に変わってるのです。

私達は本来駄目な私はありませんが、駄目な私で生きることはどんな感情か?を知りたいので、

辛くて悲しい人生映画を選んで観ているのです。

マイナスを捨てるとプラスも捨てられる

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全てのエネルギーには、マイナスとプラス、陰と陽がありますから、

私達に現れる考えや感情にも、マイナスとプラス、陰と陽のエネルギーがあります。


ですが、私達はプラスの考えや感情だけを受け取りたがりますから、

マイナスの感情は、捨てられ、無視されガチです。


すると、プラスの良いエネルギーも一緒に捨てられ、無視される結果になります。


全てのエネルギーは、プラスとマイナスで出来てますから、
どちらかだけを受け取ることは出来ないのです。


高い山があると、深い谷が現れます。

高く上がればその分、低く下がるエネルギーの法則ですから、

人生も同じく高く上がれば、その分下がります。


ですから、仏教でいう中道を行くなら、山も、谷もなくなります。


ご飯を腹一杯食べると、食べてる間は、楽しいけど、後から苦しくなりますし、

腹が減ってるのに食べないでいるのも、腹が減るから苦しいでしよう。


考えや感情も私達はつい、良いと思うと沢山手に入れようとし、悪いものは捨てようとしますが、


マイナスもプラスも、陰も陽も受け入れる必要があるのです。

どちらも腹八分に入れておく必要があるのです。


プラスや陽の楽しい部分だけを取る人は、外見は楽しく陽気に見えますが、

その人に観てもらえなかったマイナスや陰のエネルギーは、残ってますから、

観てもらえなかったマイナスや陰の感情は、観てくれるまでその人から離れれないのです。


ですから、明るくて楽しい人なのに、不幸が続く人がいるのは、

観てもらえなかったマイナス感情が、心の底に溜まってるからです。


不安や恐れなどの感情も丁寧に感じてあげれば、その感情はあなたから離れます。


不安や恐れの感情は、あなたが今、その感情を感じる方が、安全だよと、知らせる為に現れたのですが、

それを無視すると、無視された感情は、あなたから離れられなくなります。

無視された感情は、あなたが観てくれるまであなたの無意識に入り込んで、

あなたの体が自分だと勘違いし、あなたのマネをし始めるのです。


無意識に追いやられた感情達は、あなたから自由になれないので苦しんでますから、

あなたのマネをしながら、不快な世界を作り続けるのです。


マイナスやプラス、陰と陽の、両方とも自然に受け入れる人は、精神が安定しています。


喜びに執着せず、不安や恐れも受け入れるから、感情エネルギーも安定して補給されるからです。

恐怖、挫折、罪意識、羞恥心などのマイナス感情も受け入れ、それを感じて、認めてあげるなら、

マイナス感情が残ることはありません。


試験や、面接などの大切な時期は、

落ちるのが怖い!という感情が頻繁に現れますが、

その感情も受け入れ、充分に感じてあげれば、自分の役割が終わったと思い、感情はあなたから離れますから、

試験や面接の当日は安定していられるのです。

そしてその感情は次に現れる必要がある時に、あなたを助ける形で現れますから、

どんなに難しい試験や面接の時にも動じなくなるのです。


この世界は、常にマイナスとプラスの両方がありますから、

私達がその両方とも受け入れることで、人生がスムーズに流れるのです。

死ぬ時に持って行くもの

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私達が死ぬ時に持って行けるものは、私達の意識ですから、

私達の考えや感情は死んでもついて来ます。

人が死にたいほど苦しみを感じる時は、全て考えや感情ですから、

その為に自死をする人もいますが、死んでもその意識から離れることは出来ないのです。


そして、 
生きてる間に地獄があると信じてた人が死ぬと、
その通りに地獄を観ます。


私達は、クリエイティブですから、私がクリエイティブにイメージしたままの地獄が作られるのです。

つまり、私自身がイメージしたままの地獄を私が作って、私が体験するのです。


私達が死んでも意識はそのままですから、初めは自分が死んだことに気づきません。


ですが、体がなくなると意識が軽くなりますから、考えたままに現実として現れるのです。

ですから、地獄があると信じていた人は、死んだ瞬間から自ら地獄を作り、自らそれを体験するのです。


死んで天国へ行く自信があった人は、天国へ行きます。

その天国も自分自身の意識が創り出したものですが。


私達は本来、思ったことは即現実化する力があるのですから、非物質世界へ行った瞬間から、私達の考えの全てが現実化するのです。


ですが、地獄も天国もありませんから、地獄を観る人も天国を観る人もいずれ、死んだことに気づいて、光へ向かいます。


私達が人生体験をする理由は、否定を体験して、否定から肯定へ行きたいのです。

大変な苦しみの末に人が目覚める理由は、

否定の感情の後に肯定の感情が来るからです。


感情は、常に反対の感情も一緒に現れてますから、

苦しみを感じ切ると、一緒に現れていた喜びや至福を感じられるのです。

特に、鬱などのつらすぎる苦しみの後に来る喜びは、消えることがない確実なものです。

私達の魂はこの体験をしたくて、生まれるのですが、

大抵の人は苦しみの感情を感じたがらず、見ないふりをして生きて行きますから、

それで辛い感情を持って帰ることになるのです。


考えや感情が現れるままに、観て感じてあげれば、考えや感情は消えます。

考えや感情を、自分の意のままにしようとしても出来ませんし、

又それは、考えや感情と戦う姿勢ですから、余計に大きくなります。


感情は戦うと大きくなりますし、

感情を意のままにしようとか、感じないフリ、忘れたフリをすればするほど、感情はあなたの中に入り込みますから、更に大変なことになるのです。


考えや感情が現れたら、

その時にそのままの気持ちを感じてあげることです。

考えや感情が動くままに、それを見つめてあげればいいのです。

少しでも抵抗すると、感情は大きくなって、しつこくついて来ますが、

考えや感情が動くままに、抵抗せずに観て、感じてあげれば、考えや感情は消えます。


私達自身が本来愛です。


愛の私が見つめてあげれば、


考えや感情は感謝して、根源の愛の空間へ帰ることが出来るのです。

考えの法則

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私達の人生は、根源の考えの中にあります。

根源は観察者であり、観察者は私達であり、私達は根源の心です。


最近は、この世界は幻想、あるいはシュミレーションなどと言われることが多くなりましたが、

私達全体が一つの夢を観ているのだとも言えます。

一人一人分離し、それぞれが自分の考えを持って生きてるように見えますが、

私達の人生は、根源の考えの中で繰り広げられてる夢ですから、

あなたや私が考えてるそれぞれ違うように見える考えも、
根源から出た一つの考えです。

あなたが何かを考えたり、それに対して感じる感情を、一々あなたの感情だと思うと苦しいですが、

その考えや感情を観ている根源が、あなただと言うことを知るなら、苦しくなくなります。


私達が夜に観る夢のように、

私達の人生も、根源が観ている夢でもありますから、

私達が個人としての私から離れて、根源としての私を生きるなら、

根源の一部ではなく、全体として観ることが出来ます。

色々な人生があり、一人一人考えも違いますが、

私達の考えには法則があり、その法則を知れば、人は皆んな一つだと思えるようになります。


例えば、あなたが誰かに迷惑をかけてしまったと考えてるとしたら、

反対側には、迷惑をかけられたと言う考えが同時に現れてるのです。

ですから、迷惑をかけたあなたも、かけられるあなたも一緒であり、一つですから、

迷惑をかけられると言う相反な考えがいずれ経験として現れるのです。

あなたが、人のお金を盗んだとしたら、

あなたのお金が盗まれると言う考えも反対側にあり、

あなたのお金が盗まれる現実が現れます。

あの人に傷つけられたと思っていると、あなたがあの人を傷つける現実が現れてます。

両方ともあなたですから。


根源があなたですから、根源の考えの中で、あなた一人で遊んでいるのです。


私達の考えや感情は常に相反する姿で現れていて、上がったり下がったりしますから、

その感情につられて行くと、両方を体験し合う、苦しみのサイクルを生きることになります。


私達はエゴが私だと勘違いして必死になってるから苦しいのです。

ですが、何かの考えや感情が上がって来た時に、私達が観察者として物事を観るなら、

考えや感情から離れて、余裕を持って生きることが出来ます。

波が次から次へと起きる海の中で、その波と格闘する必要はないのです。

海から出て、海の波を優雅に眺める者があなたであり、

全ての物事を見つめている者があなたです。


ですから、起きてくる考えや感情と戦う必要はないのです。

起きてくる考えや感情と一緒になって、上がったり下がったりと言う、

ゼットコースターのような人生を生きるのではなく、

海の波を眺める側、つまりあなたが観察者として生きるなら、

波打つ海から出ることが出来ます。

そして、海全体を眺めるように、優雅に生きることが出来るのです。

考えや感情を流す

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感情は観て、感じて、認めてあげれば、感情は満足してあなたから離れます。

そして嫌な考えが上がって来た時にも、あなたが観て、感じて、認めてあげれば、あなたから離れます。


私達は観察者であり、観察者は無限の愛と平和であり、無限の心の空間です。

ですから、どんなことも受け入れ、どんなことも受け流せる無限のスペースが、私です。


なのに、この物質世界にいる私達は、エゴが私だと錯覚していますから、

ついついエゴの世界につられ、苦しい現実を生きています。


体と言うエゴを持っていますから、
私達は体に縛られている何かの、 

罪深い者のように思ってしまっていますが、


ですが、無限の愛の意識が私であり、私は観察者であることを思い出すべきなのです。


現実の動きは観察者の光の動きです。

現実の動きは、観察者の愛の光の動きですから、


観察者である私が、私の考えをじっと観て観察してあげれば、

体(エゴ)の考えや感情は、愛の空間へと消えて行きます。

エゴは観察者が見つめると消えます。

 
この世界は、物質体験をする為に、沢山の体に分離したエゴですが、


物質世界であっても、私達が観察者であることを思い出すなら、

私達は観察者の愛と平和で居られるのです。


ですから、観察者がエゴの考えや感情をじっと見つめてあげれば、

考えや感情の生命体達も、

愛と平和の世界へ戻れるのです。


ですが私達はついつい、考えや感情を私のものだと錯覚して、

その考えや感情が現れる度に、驚き、嫌がり、それを無くそうとして、抵抗するから苦しむのです。


体は光の動きに過ぎませんから、


考えや感情も、光の動きです。


それを私達は、私の世界だと思い込みますから、

悲しみや、憎しみや、苦しい感情を押さえ込み、無意識へ追いやり、

沢山の嫌いな私を創り出しているのです。


そして、無意識に追いやられた沢山の感情達は、

私から離れることが出来ずに、私にぐっついて、私のように振る舞います。

そして、恐怖、劣等感、挫折、みじめ、怒り、虚しさなどの考えが、次から次へと現れます。

私達は、この沢山の私を創り出して、それが私の世界だと勘違いし、

悲しんで、苦しんで、憎む人生映画を自ら創り出し、それを繰り返しています。

私達は、私の考えの中に閉じ込められた世界から、抜け出せないでいるのです。

私達の考えの世界にはまっているのですが、それに気づきません。


私達は観察者です。


私は本来観察者であることを思い出して、


観察者として、私の考えや感情を観るなら、


この物質世界にいても、
苦痛のない人生を生きられます。