この世の全ては一心である。
この世には心以外に何もない。
森羅万象は一切唯心造である。
一切は唯一心が造っているのだ。
この世界は心が中心であり、心によって世界が広がっている。
私の周りで起きる沢山の事柄も、私の心から始まったものだ。
心が揺らぐと人生も揺らぐ。
だが、恐るるなかれ。
揺らぎながら生きることが人生だからだ。
揺らがない者はいないのだから。
私の心が揺らぐように、生きることは揺らぐものだ。
揺らぐことは命であり、エネルギーだ。
海に波が存在するように、波の揺れの中に海が浄化され、
森の中に風が存在するように、風の揺れが、命の種を運ぶ。
海も森も揺れながら成長する。
波も風も、揺れの中で浄化される。
この世界の全てに揺れないものはない。
揺れは生きることであり、揺れは又起き上がることだ。
揺れは人生を変え、揺れは命を進化させる。
揺れても大丈夫だ。
揺れながら生きることが人生だ。
揺れながら生きて、揺れながら愛して、揺れながら幸せを探す。
揺れは命の原動力だ。
揺れても大丈夫だ。
揺れながら生きることが人生だ。
雨が降れば雨に濡れ、
雪が降れば雪に濡れ、
揺れたら揺れることを知り、
止まったら止まることに気づけば良い。
揺れていれば喜びも来て、
揺れていれば悲しみも来る。
揺れていれば傷もつくし、
揺れていれば傷の治癒もある。
この世界の揺れが問題なのではなく、
揺れを如何に上手に流せるかだ。
揺れの波動に乗り、上手に渡りあって、上手に流し、上手に流されて行くことだ。
揺れても大丈夫だ。
揺れながら生きることが人生だ。
木が強い風に揺られても、立ちつくして、力強く根っこを下ろす。
人は哀しい傷に立ち向かい、痛い傷を治癒する力を生み出す。
たんぽぽが揺れによって種を増やすように、
人の傷は、愛することによって治癒する。
知恵ある人は、揺れの中に身を委ねる。
揺れの瞬間を感謝として受け入れ、どんな大きい揺れにも動揺しない。
揺れても大丈夫だ。
揺れながら生きることが人生だ。
少しは揺れても大丈夫だ。
少しはころんでも大丈夫だ。
少しは止まっても大丈夫だ。
揺れずに咲く花はなく、
揺れずに育つ木もなく、
揺れずに育つ子供もなく、
揺れずに創られる家庭もない。
揺れずに建つ国もない。
全てが揺れの中で成りたって行く。
良い縁は、沢山の縁の揺れの中から現れ、
喜びの瞬間も沢山の痛みの揺れの中から咲いた。
喜びも悲しみも、楽しさも、苦痛も、
全てが一時の揺れだ。
揺れは命の一つの形だ。
それは全てではない。
永遠の揺れは絶対にないからだ。
揺れながら生きることが人生だ。
揺れても大丈夫だ。
ころんでも大丈夫だ。
少し止まっても大丈夫だ。
この世界は揺れながら生きることだ。
どんな揺れが来ても恐るるなかれ。
どんな揺れも通り過ぎて行くのだから。
(耳元瞑想から)