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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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魂が遊びにくる日

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私は目覚めてから、
その不思議な感覚に驚いていた。

そしたら、
私の魂らしき者が私の背後から近づき、
私の目と重なって、一緒にTVを観ながら楽しそうに笑っていた。

それから時々、遊びに来るようになった。

今朝も私がTVを観ていたら、

いつもの私なら、笑わないところなのに、大声で笑っていた。

あ、遊びに来たんだと思った。

遊びに来たと言うより、魂と私が一つになっただけだが。

私が調子が良い時だけ一つになる。

大抵午前中で、いつもより気分が明るい時である。


私はスピリチュアルを学び、そして、生きる不思議さを知り、それからは感激の連続だった。

そして、その感覚が日に日に深くなる。

最近は、毎朝の目覚め時から、存在させてもらってることに、感謝でいっぱいになる。

そして、一日中生きてる喜びの中にいる。

以前の私は暗く、毎日が地獄のようだったけれど、

スピリチュアルを学んで、生きる意味を知り、生きることの不思議に目覚めてから、毎日がただ幸せで仕方なくなった。

この世界は幻想世界であり、魂の体験として人は生まれてくる。

本来の全てである森羅万象は、

ただの意識であり、

意識は永遠であり、喜びの存在であるが、

偶々今回は地球を選び、地球の苦しみを、体験として学び、意識を拡張させ、進化する為に来ている。

苦しみの極限を味わい、意識を拡張させるのである。

苦しみは、物質への欲と執着から生じると仏陀は言った。

だけど、歳をとれば欲も執着も少しずつ消えて行き、その分の心に空き場所が出来る。

空いた場所には、それまで気づかなかった喜びが入ってくる。

仏陀の教えである、人が苦しむ原因の貪、怒、痴が減って行く為、

人は歳をとるほど、楽しくなれる。


欲や執着がなくなったその場所には、純粋な自分が現れる。

純粋な私は、魂と一つになれる喜び時がわかる。

生きる喜びを一つでも多く感じ取りたいと思うようにもなった。

1分も無駄に出来ない気分でいる。


人は人と一緒に居たがるし、それが当たり前の常識のように、思わされているけれど、

それは間違いである。

人は一人で居る時に、誠の喜びが訪れる。

本来の自分に戻り、自分自身と戯れる時が、
何よりの喜びの瞬間であり、

それが、自分の魂と無邪気に戯れる時であり、無我の境地となる。