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himeroguのブログ

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全てに意味はない(あるお坊さんの話しから)

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全てに意味はない。

良いも悪いもない。

ただ、そうなってるだけ。

愛情にも憎しみにも意味はない。

全ては縁によって集まって散るだけである。



生きることが辛いと思う時があります。

毎日が苦痛だと思う時もあります。

苦痛や苦しみから逃れようとしたり、
苦しみを嫌い、苦しみは現れるべきでないと思います。

生きることに意味などないと思います。

生きることは、なにかの罰のようにも感じます。

毎日楽しいことだけが続き、嫌なことがなければ良いと思います。

嫌いな人は居なくなって、好きな人だけが居て欲しいと思います。

そして、自分の性格や容貌などに、不満が沢山ありますから、自信が持てません。

こんな親から産まれたからだと、腹立てたり、周りの環境が悪い、政治が悪いと腹を立てます。

人はみんな楽しそうに見えるのに、私だけに嫌なことばかりが起きてくるようにも思えます。

お金が沢山あって好きな人が側に居てくれなければ、幸せになれないと思ってますから、
一生懸命それらを追いかけます。

一生懸命追いかけても中々手に入らないので、

苛々や、悔しさが積もって行きます。

人は全てを持っているように見えますから、
私も負けてはならないと、私も持っていないと馬鹿にされると思い、
頑張り続けるから、

毎日が戦いになります。

苦しみの連続です。

生きることは地獄のように思えます。

ですが、

起きてくる理不尽に思える事柄の全ては、私の心の中で起きているのです。

私が、好きなことと嫌なことを分けて、好きなことが現れると喜び、嫌いなことが起きてくると、嫌がり、苦しい、この世は地獄だと愚痴っているのです。

楽しいことも、嫌なことも、ただ縁あって起きたことであり、

縁によって、素粒子が集まっただけのことです。

縁あって集まった素粒子は縁が終われば散ります。

私達はただ、それらを観るだけでいいのです。

何も人より優秀である必要もなく、人より持つ必要もありません。

沢山持っている人が幸せだとは限りません。

毎日、苦しみが押し寄せて来るように思えるかも知れませんが、

苦しんで、苦しんで、苦しみの中に入り込んでしまえば、

それは苦しみではなかったのだと知ります。

ただ縁によって起きたことなのに、それについて、良い、悪いと決めつけて、喜んだり、苦しんだりしていたのは、自分自身だったと気づきます。

あらゆる問題は、私自身の考えが起こしていたのだと気づきます。


手と手を強く合わせれば音がなります。

手と手が合わさった縁によって、音が鳴っただけのことに対して、

私達はその音に対して、良い、悪いと文句をつけてるのです。

起きて来ることを、ただ傍観出来るなら、

私達は、既に観察者になっています。

観察者こそ、本来の自分です。

その事実に気づくなら、
既に仏陀のような自由な心へ、到達しているのです。