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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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憎しみは憎しみを引き寄せる

憎しみは憎しみを引き寄せる
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あなたが憎しみや怒りの感情を頻繁に感じてるとしたら、

憎しみや怒りの感情を無意識に抑えています。

感情は抑えていると、抑えられた感情エネルギーは大きくなりますから、

憎しみを感じた時点よりも、大きく拡大した憎しみを抱えていることになるのです。

エネルギーは抑えると反発し、大きくなりますから、

憎しみの感情が上がって来た時に、その感情を感じて、認めてあげれば、消えるのです。

ですが、嫌な感情を感じたくないので、その都度無視したり、色々な言い訳をしながら、逃れようとします。

あるいは、そんな感情を感じるべきでないと、自分自身に強要してしまいます。

すると、感じてもらえなかった感情は、あなたの無意識の中に囲まれてしまい、あなたの中で拡大します。

囲まれた感情はどんどん大きくなって、広がり、
益々あなたに、気づいてもらおうとして頑張ります。

そうなるとあなたは、頻繁に憎しみを感じるようになり、憎しみを煽られる問題が現れます。

それは、憎しみの感情が解消されたいが為に、自ら憎しみを引き寄せてるからです。

憎しみの感情は憎しみを引き寄せ、
怒りの感情は怒りを引き寄せ、
悲しみの感情は悲しみを引き寄せます。

あなたの無意識が引き寄せてるのです。

あなたの無意識の中に囲まれた、憎しみの感情エネルギーが、外の空間に出て、自由になりたい為に、

そのきっかけを作るべく、新たな憎しみを引き寄せてるのです。


私達は想念体ですから、
私達が出している想念と同じ周波数を、頻繁に引き寄せているのです。

私達は沢山の感情を感じ、傷つき、不快な思いをしますから、

いつのまにか、感じないように、見ないふりして、過ごそうとします。

ですが、感情が上がって来た時は、その都度、感じてあげて、認めてあげると、早く消えますし、

充分に感じてあげた感情は、二度と現れることはないのです。

感情から逃げるから、感情は大きくなって、追いかけて来るのです。

私達が嫌がることの殆どは、逃げると追いかけて来ます。

エゴは、逃げると追いかけて来て、見つめると消えるのです。

嫌なことも、怖いことも全て幻想です。

幻想は見つめると正体が観えて来ますから、

正体が観えたらそれは怖いものではなくなるのです。

なのに私達は、観る前から怖がって逃げまくるから、益々怖くなるのです。

憎しみの感情を抑えてしまうと、新たな憎しみを引き寄せ、その影は広がるばかりになります。

あなたの中に囲まれた、憎しみの感情に気づき、その感情を認め、充分に感じてあげれば、

憎しみの感情はあなたから去るのです。

それからは、あなたは憎しみの感情から自由になれるのです。

善も悪も死もない

善も悪も死もない
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私達は、善と悪を分けますが、
善も悪もありません。
神には、良いも悪いもありません。

人が勝手に善だ、悪だと決めただけです。

人は、
善や悪を決めないと恐怖するのです。

善を評価して悪を罰する法がないと、生きて行けないと思います。

善も悪もない神から見れば、ヒットラーも愛すべき存在であり、

地球を乗っ取って遊んでるレプテリアンや、

星同士が戦い、互いに滅ぼし合った宇宙戦争も、

神から観ればあり、のようです。


私達は、毎日をメチャクチャ真剣に生きています。

毎日を生きるか、死ぬかのように頑張っている仕事も、神のゲームなのです。

本当はゲームですから、
バシャールの言う、ワクワクで生きることが良いのです。

仕事もワクワク、人間関係もワクワクでやればいいのです。

間違ってもいいのです。

善や悪がないのですから、正しい、間違いもないのです。

ワクワクで生きるなら、人やお金が同調して、引き寄せられて来ます。

この世界は幻想ですから、死ぬこともありません。

死ぬことは、本来の神に帰ることです。

今は、自らが選んだ体験をしているだけです。

宇宙も神も、絶対に正しいものがある訳ではないのです。

私達は、毎日を恐々生きていますが、

本当は完全装備で、ダイビングを楽しんでるのです。

私達にの一人一人には、
完全装備の天使がついています。

ロンダ.バンはどんな人にも、天使がいるのが観えてると言います。

天使は私達のすぐ後ろに、スタンバイしていますが、私達の目には観えないだけです。

私達は、ヒーローや、悪役や、ホームレスの衣装を装着し、天使という完全装備を持って、この世界に来ているのです。

完全装備で、色々なアバタを選んで、暗い海の中の恐々な体験を、
もっとリアルにする為に、記憶を消してるのです。

ワクワクや、引き寄せ法則などを、教えてもらっても、
私達はそれを分析し、理屈で理解しようとするから上手く行かないようです。

あの世の世界を、勉強して行けば行くほど、遊びが満載なのが分かります。

引き寄せも遊びのように軽くやるなら、出来るのです。

宇宙はあまりにも軽くて、調子抜けする時がありますが、
でもやはり宇宙は凄いです。

宇宙は天国から地獄まで、私達が何を選ぶかで、自由に体験出来るのです。

そして私達が死んだ後に、全てが明らかになります。

演劇が終わって幕が下がると、俳優は着ていた衣装を脱いで、現実の自分に戻るように、

私達も死んでから、アバタの体から抜け出して、本来の私に戻るのです。

本来の私達は愛の存在で、永遠な存在で、偉大な存在なのですが、

地球の差別の体験中には、中々、自分自身の偉大さを思い出しにくいようです。

二元性のストーリー

二元性のストーリー
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この世界は「空」ですから、
本来は、あなたの存在も私の存在もありません。

私達は考え、あるいは意識だと言えます。

その意識が現在、この二元性の世界を体験しています。

今のあなたは、コンピュータであり、キーボードに例えられます。

あなたの今の考えを、舞瞬、自動キーボードが、コンピュータに自動入力しています。

例えば、お金がないと、考えているなら、
それが、コンピュータに自動入力されます。

すると私達が、入力した文字の意味を教えてくれる、Wikipediaのように、

あなたのコンピュータは、お金がないと言う状態を、現実にして教えてくれます。

お金がないと頻繁に考えると、お金がないと言う現実が、頻繁に現れます。


私達の存在はありません。

ただの考えであり、意識だけです。


私達の体「五蘊」は、痛みや、悲しみを感じるので、実際に存在していると、信じていますが、

私達はなく、実際は全て「空」です。

家も、会社も、椅子もありません。
私達が目を開いた瞬間に、観えてるだけです。

映画を観ているように、目を閉じれば観えないし、音を消せば音もありません。

ですから私達の存在はありません。

私達の意識が「五蘊」を通して、この世界を覗いてるだけです。

痛みや苦しみや悲しみを感じているのは、「五蘊」の感覚器官なだけであって、

五蘊」が私ではありません。

私達の意識が、
この二元性の世界を体験しているだけです。

映画のストーリーの展開を、ハラハラしながら観ているように、

私達は、既に作られている映画を今、観ています。

そして、映画の途中に、面白くないと思ったら、別の映画に変えて観ることが出来ます。

私達は、本来一つです。

あなたと私と言う分離はありません。

あなたと言う個体も、私と言う個体もありません。

ただ一つの繋がった意識です。

それを今、分離していると言う設定で、二元性の世界の映画のストーリーを、観ているのです。

ですから、楽しい映画に変えたいなら、
楽しい考えをすることです。

楽しいことを自動入力させれば、楽しい現実が現れます。

楽しいとは、こう言う世界だよと、

あなたのコンピュータは、あなたの楽しいと言う入力を、
あなたの現実に表して、教えてくれるのです。

楽しい、嬉しいを頻繁に考えていれば、
楽しい、嬉しい現実が続きやすいですが、

時には、意に反して、悲しい現実が現れる時もあるようです。

それは、楽しい、嬉しいばかりの映画だけだと見飽きると言うのもあるのでしょう。

私達は存在しませんが、
私達の意識が、この世界を創り出してもいますし、

私達の意識が波動となり、常に動いています。

波動が粒子になり、粒子が波動に変わりながら、揺れ動く世界を、
私達自身で創って、自ら体験しているのですが、

私と言う個体はなく、全てが一つです。

本来は私達は「五蘊」やエゴがありませんから、
あなたや、私、と言う分離がないのです。

それを、「五蘊」を通して、
「あなたと私」と言う、分離を感じているだけです。

本来の私達には「五蘊」がありませんから、
これが私、これがあなた、と感じるものがありません。

「私」がいないから、

私を感じることも出来ないのです。

あなたの人生ファイル

あなたの人生ファイル
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私達は、コンピュータのワードシステムに、色々な考えや出来事を記録し、それをファイルに保存します。

そして、作成したファイルを、時々開いて見たり、修正する時もあります。

自分が作成したファイルですから、自由に開いて、自由に変えられる自由があります。

私達の人生も、私が作成したファイルを開いて観ているのです。

私達が作成したファイルを開いて、ただ、観ていることも出来るし、
手直しも出来るのです。

ですから、
ファイルを作成したのもあなたで、見るのもあなたで、ファイルの内容を自由に変えるのもあなたです。


私達は生きている間に、毎日のように、何かしらの選択をしますが、

例えば、A とBの選択権があり、あなたがAを選んだとしたら、

残ったBを、別のあなたが選び取ります。

あなたが結婚したい相手が二人いて、その中の一人を選ぶと、もう一人の相手は別の人と結婚したとします。

その、もう一人の結婚した相手も、あなたです。

私達はこうして、沢山の分岐点で、沢山の私に分かれて来てるのです。

ですから世界は私一人なのです。

世界は、私が作成したファイルの一つであり、

そのファイルを作成し続けるのも私です。

優秀な私は、無限の力や知識を、
沢山のファイルに保管していています。

それらの複雑で莫大な量のファイルを、
私は、沢山の私に分かれて、別々に体験しているだけですから、

人と私は別だと思い込でいるだけなのです。

私はこうして、自分を分けて、いっぺんに全てを、体験することを選んだのです。

私達が毎日のように、A か、Bかを選択して、

A とBに分かれて別々になったあなたが又Aか、 Bを選択し続けますから、

私達の世界は、複雑に広がり続けているのです。

この、複雑な沢山のファイルを、一人で観るよりは、

私を分離させて沢山の私になり、沢山のファイルを、一つずつ分けて観るようにしたのです。

他人は楽な人生で、私の人生は良くないと思うかもしれませんが、

私達は一つですから、それぞれが選んだファイルを開いて観ているだけです。

そして、現在観ているファイルを変えるのも自由です。

あなたが毎日の中で選択しているものが、あなたが選んだあなたの人生ファイルなのです。

ですから、あなたが今、Aか、 Bかの、どちらを選択するかで、あなたが観ている世界が変わって行くのです。

もしあなたが本などで、沢山の知識を得て、豊かな知識を持っているとしたら、

あなたの観ている人生ファイルを、豊かで楽しいファイルに変えられるのです。

人は自ら問題を作っている

人は自ら問題を作っている
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私達は平和と安心の生活を望んでいながら、

問題を自分で作り出しています。

エゴは、絶えず何かしら自分を防衛しようとして、

何かに没頭していないと安心出来ないのですから、

気がかりだった問題が解決してホッとしてると、

ホッとした瞬間から、エゴは別の不安を見つけて、何かしら、やるべきことや考えことを探し出します。

問題が解決したのだから、ホッとして、安心し続けていればいいのに、出来ないのです。

そして周りを見渡し、皆んな何かしら、頑張っているように見えるので、自分だけ遅れてしまってるような不安に駆られます。

そして安心していられなくなり、やるべきことを探し回り、そして、やらなくてもいい事を始めます。

問題は、自分自身が創り出しますから、大抵、起きてくる問題は、同じようなパターンになります。

そしてそれは、大抵、自分がネガティブな思いを持っているものが原因になっていますが、

それを、自分を苦しめる問題の根っこであり、やっつけるべき敵だと思い込み、

敵であるネガティブな根っこを抜き取らないと、私の人生は全て上手く行かないと、思い始めます。

人間関係が下手と言うネガティブな根っこを持ってる人は、そのネガティブな根っこを、今度こそ抜き取ろうとして、

何かのワークに参加し、
人間関係を克服しようしますが、

何かを克服しようと言うのは、

駄目だと言う思い込みの上での行動ですから、

駄目だと言う、思い込みの結果しか現れないのです。

自分は人間関係が下手なら下手で仕方ないと、受け入れてしまえば、問題は起きて来ませんが、

下手だから、克服しようとするから、お金や時間を浪費した上に、

やはり私は駄目人間だと、更に強く思い込む結果になるのです。

その思い込みが、同じ問題を作り続けているのですが、それに気づきません。

沢山お金を得たい人は、お金にネガティブになり、朝晩働いて頑張って、疲れて、病気を作り出しますし、

又は、何かしらのずるをして、大きな問題を作ります。

一日中お金を考え続けていますから、
お金が減ったり、増えたりする度に一喜一憂しますから、

いつも不安定で、その不安定が、収入を減らすと言う問題を作ります。

何かしらの問題が続く人は、その問題の根っこに、強いネガティブな欲が隠れているのです。

自分が駄目だと思ってる部分や、強い欲や、周りと比べると言う、心の弱さが、

問題を作り出してることに気づくべきなのです。

気づけば、その人は問題を作り出すことはなくなり、
平和と安心の生活が続けられるのです。

いつまでも、問題を創り続ける人は、
疲労し、周りが見えなくなり、全てを失ってから、やっと気づきます。

急がば回れと言いますが、

問題が起きた時には、慌てずに、その問題を観察し、その問題が起きた原因を考えるなら、

全ての問題は自分自身から、起きたことに、気づくでしょう。

人は本当は、深いところで、そんな自分を知っているのですが、

本当の自分に気づく事が怖いので、目を向けません。

駄目な自分を認めるのが怖いから、問題の根っこを見ずに、上に上がって来た問題だけを見て、悩んで、苦しむのです。

自分自身のエゴの動きを、良く観察するなら、
問題の根っこが見えてくるのですし、

私達を怖がらせ、不安がらせるエゴの正体を見抜くなら、
問題も起きなくなるのです。

地獄から天国まで

地獄から天国まで
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この世界は、地獄から天国まである見本の世界でありますから、

私達がその中から何を選ぶかで、人生が変わるし、来世も変わります。

そして、どんな人を友達や恋人にするかでも変わりますが、

人間には人間関係が地獄のようだと言いますから、人間関係は誰にとっても大変なようです。


これは一つのジョークですが、

ある男が死に際に、自分は地獄に落ちるはずだと、思っていましたが、

目覚めて見ると、楽なベッドに横たわっていて、両隣に美人が一緒に寝ていました。

男は驚いて、俺は天国に来たのかと喜びましたが、

その2人の女性と、一年でもなく、10年でもなく、永遠に居なきゃならないと知って、

やはり自分は地獄に落ちたのだと、知ったと言います。


男女関係も大変ですが、会社の人間関係も、友達同士も、何かしら難しいものがありますね。

誰かと一緒に居ると、ついぶつかり、議論し、
自分の思いが通らないと、怒りや悔しさや無力感が溜まって行きます。

この次元では、低い振動の世界ですから、光も愛も見えづらいようです。

それでも、愛で生きる人も沢山いますから、

私達がこの世界で、何を選ぶか、何を観るか、で変わるようです。


この不思議な世界は、私達が観たいものを見せてくれるのです。

地獄を選ぶ人は地獄が現れ、天国を選ぶ人は、天国を観るのです。

ですが、親しい仲間がいると、仲間意識や集団意識を、信じやすくなります。

自分で経験して理解して、得たものでないのを、信じてしまうと、

それが間違った道でも知らずに、失敗の道へ進みやすいですから、
仲間意識や集団意識は怖いのです。


この世界は、7段階があり、

一の段階は生存の段階、
 生きるか死ぬかの本能だけの世界。

ニの苦痛の段階、
 後悔だけがずっと続く世界。

三は力の段階、
 いつも誰かを支配しようとする世界。

四は表現出来ない愛の段階、
 深い愛があるのに表現出来ない世界。

私達は今、この四つの段階を学んでいます。

そして、次の五の段階は楽園で、愛の実現が出来て、表現も出来る段階です。


私達が、この世界の学びが終わると、この五段階へ行くようですが、

今の私達には、この五段階までが、やっと理解出来る最高のレベルのようです。

それより上の第六と、第七の段階は、どんな説明でも、私達には理解不可能で、

それは深い愛と平和だけの、神々の世界だと言います。

とりあえず五段階の愛と平和の楽園を目指すなら、

なるべく人との諍いを避け、
愛と平和を心かける生活が良いようです。

そしてまず、自分自身を充分に愛せるように努力し、
充分に自分自身を愛せるようになれば、
愛が自分の中で拡大します。

すると自然に愛が溢れ、自分以外の存在も愛せるようになります。

それからは、自分以外の命も実は、
自分自身だったと、気づくようになるようです。

観察者の心

観察者の心
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私達は毎日、自分が創った映画を観ています。

地球には75億の人がいて、
それぞれの宇宙があり、それぞれの人に、違う真実がありますから、


私達の全てが別の映画を観ているのです。


地球が丸いと思う人は、丸い地球の映画を創って観ています。

地球は平面だと思う人は、平面の地球の映画を創って観ています。

それぞれが正しいのです。

この世界は、私達が選んだ映画の幻想を観ているのですから、

自分が選んだ映画だけを観て、

地球は丸い、地球は平面だと、言い合う必要はないのです。

75億の人が、自分が創った映像を観て、これが真実だ、あれが真実だと、言い合っていますが、

この世界は、目の前を通り過ぎる映像であり、フィルムですから、

その映像に対して文句を言ったり、真実ではないからと、言い合う必要はないのです。

あなたの家族でも、恋人でも、親しい友達でも、

それぞれ観ている映画は違うのです。


宇宙は無限で、数え切れない映像があり、
その全てを理解することは不可能です。


宇宙はどれも真実です。


ですから、
ただ、互いを認めてあげるなら、戦う必要がないなです。

私達は、「考え」そのものですから、

毎日沢山の考えが、私達を通り過ぎます。

私達は、自分が考えたフィルムを観ながら、今日起きている事柄を観て、感じて、判断し、

それを基本にして、明日のフィルムを創り出していますから、

ですから毎日、自分が創ったフィルムを観て驚き、疑問を持って、腹を立てたり、悲しんだり、苦しんでいるのです。


ここは、二元性の世界です。


二元性の世界は、良い、悪いの両極が存在していて、

私達は常に良いと思われるものを得ようとするから、罰ゲームになるのです。

悲しみの反対サイドには喜びがあり、

苦しみの反対サイドには平和があり、

マイナスの反対サイドにプラスがあることを、理解するなら、

良いものだけを手に入れようと言う、無駄な映像を創らなくなります。

私達の存在は、良いも悪いもなく、善でも悪でもないですが、

この二元性の世界を観ている間は、本来の自分を忘れてしまい、

良い、悪い、善だ、悪だと、分別し、戦い、苦しみます。

私達は、そのどちらでもない、全てをただ認めて受け入れる存在です。

私達は観察者として、二元性の世界を観ているだけなのです。

ですから苦しむ必要はないのです。

プラスとマイナスの両方とも観て、
どちらもありのままに受け入れて観てあげるなら、

プラスとマイナスが和合し、

映像のバランスが取れます。

バランスが取れれば、私達は本来の観察者の心になれます。

観察者の心が創る映画は、バランスの取れた、平和な映画が創られるのです。