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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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人の無意識と量子力学

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既に量子力学では、この世界には固定したものは実在していないと言っています。


この世界は私達の心を、光が映してる鏡の世界です。

人の人生は、夢を観ているようなものなのに、
その夢の中で執着します。

人は、寝ながら観る夢を夢だと認識しますが、昼間も夢の中です。

私達はそれを知らずに、人並みに、あるいは、人より良い生活に執着し、必死になっています。


実際、目に観える世界があるし、触れられるし、空気があり、家族や他人がいるのに、

それを実際ではないと言うと、誰でも困惑すると思いますが、

映画がI秒に24枚のフィルムで動いてますが、
私達の人生映画は、I秒に1044回の光が当たって動いています。

森羅万象も人も、原子で出来ていて、原子核の周りを電子達が早いスピードで回っています。

動かない石の中でも、電子達は目に見えない早いスピードで回っています。

電子は全部マイナスの性質ですから、互いに押し合うためにぶつかりません。

押し合う力の為に、人やものを触っても感触があるのです。

私達がこの世界を創って、それを直接体験しています。

ですから、この世界は幻想であり、生まれる前に互いに決めて来た役割をしながら、互いの感情を観察しているのです。


宇宙には、紫外線や、赤外線などの光がありますが、

人間は可視光線しか観られないようになってるので、私達は、宇宙の一部しか見えません。

ですから、この世界だけが全てで、実際のように見えていますが、

全ては量子の動きである波動です。


量子は、観察していない時は波動で、
人が観察してると、粒子に変わりますが、それは、人の気持ちを読んで動いてるからです。

人が、量子のような粒子は、固い粒のような物のはずだと、決めて観てるから、

量子は人の心を読んで、固い粒のようになって見せてるのです。


人同士も、相手の気持ちや要求を、何となく解りますから、出来るだけ相手の気持ちに沿う行動を取りますが、

森羅万象を構成している粒子達は、相手の心を読んで、その通りに動いて見せるのです。


でも量子は波動ですから、人が観ていない時は波動に変わります。

波動の動きは予測不可能で、まるで量子は自分の意思があるように動くので、
アインシュタインは気味が悪いと言って、量子力学を嫌いましたが、

私達の人生も波動であり、予測不可能であり、常に波打ちの世界です。


ですが反面、量子は人が考えてる通りに動くのですから、

愛を持って世界を観る人には、愛を返して、
憎しみを持って観る人には憎しみを返します。

宇宙には人と鏡しかないと言う話しもありますが、

量子の働きが鏡のようなもので、
量子は私達の心を読んで、
私達が思っている通りの、現実を創ってるのです。

量子が森羅万象であり、私達ですから、私がどんな気持ちで世界を観るかで、
観える世界を、その通りの現実に創って、観せてくれてるのです。


そう言われると、人は良い感情だけを感じようと努力しますが、

量子は人の無意識を読みますから、
私達の無意識の中にある、隠れてる本当の気持ちに気づく必要があるのです。


無意識に気づくことは、そんなに難しくありません。

日頃上がってくる想念を観てあげればいいのです。

上がってきた想念に対して、ジャッチせず、ただ、認めることです。

人を憎む想念が上がって来ても、

あ、私の気持ちの中に、そう言う気持ちがあるんだ、と、

ただ、認めればいいのです。

そんな気持ちを持っていてはいけないとか、
私は酷い人間だとか、などのジャッチをせずに、

ただ、ありのままに観てあげればいいのです。

母親が5歳の子供を観ているように、
一々ジャッチを入れずに、ただ認めてあげれば、

認められた想念体は満足して離れます。

子供が安心すれば、母親から離れて遊ぶように、

あなたから認められた想念体は、あなたに感謝し、あなたから離れ、
やがてあなたを助ける存在となってくれるのです。

悟りは苦しみの隣りにある

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現在あなたが深い悲しみの中にいるなら、やがて大きな喜びが現れます。

現在あなたがとても辛い感情の中にいるなら、やがて大きな平和が現れます。

現在あなたが人生のどん底にいると感じているなら、やがて高く登って行く時が来ます。


これが宇宙のシーソーゲームです。


シーソーの反対側が高く上がれば、もう片方も高く上がるように、

苦しい感情と、間反対の喜びの感情も、一緒に現れています。

例えば、悲しみの反対には愛の感情があり、

罪悪感の反対には、包含の感情があって、

恐怖の反対には至福の感情が並んでますから、

今感じている感情の反対の感情も現れています。

そして、苦しみや恐怖の感情が強ければ強いほど、反対の良い感情も強く現れています。


人の感情のなかでも、罪悪感や羞恥心は、かなり苦しい感情で、耐え難いものですが、

だからこそ、この苦しい感情の反対には、とんでもない喜びである、悟りが来ています。

苦しみの感情には、
怒り、恐怖、無気力、罪悪感、羞恥心などがありますが、

誰からも愛されない羞恥心、無気力、恐怖の感情などで、

全てに絶望して、その先に何もないような暗闇の中にいる時にやっと、

私達は小さな光を見つけます。

私達が完全な闇にいる時に、弱い光にも気づけるのです。


そして、その小さな光は一気に広がり、とんでもなく大きな喜びと、深い愛と包容と言う至福の道へ案内されます。

それが宇宙の法則であり、私達が創ったゲームです。

光は何処にでもありますが、私達が光の中にいる時は気づかないだけです。

私達が闇にいる時にやっと、光を照らせるのです。



私達はこの世界に、苦しむ為に生まれたように思える時が多いですが、

私達は本来の、愛と喜びしかない世界から、

苦しみとは何か?
悲しみとは何か?
痛みとは何か?と、

それに疑問を持ち、その感情を知りたくて生まれたのです。

そして、苦しみが強くなり過ぎて、絶え難くなった時には目覚めるように、セッティングして来ています。

ですから、目覚めは苦しみの終わりです。


私達は、この世界を観て体験したくて来ている魂ですから、魂の存在が私で、

体はただの借り物です。

体は、水に入る時に使う、水中メガネや防水服を付けるようなもので、
選んだ体験の内容に合わせた形の、体を着ています。


ですから体が私ではなく、魂が私です。

観られるのが私ではなく、観ているのが私です。


心配したり、恐怖したり、
又は過去に悩み、未来を恐れたりしますが、

私達に死は存在しませんし、過去も未来もありません。
 あるのは今、この瞬間だけです。

この世界にいるのは、
永遠な喜びと安全な世界にいながら、ネットの1ページをめくって観ているような瞬間に過ぎないのです。

ですから苦しみは悟りの最も近くにあるのです。

憎しみが愛の隣りにあるから、憎しみが愛に変容しやすいように、

苦しみは悟りの隣りにあるのです。

悟りとは、いよいよ、この世界は幻想だと言うことに気づかせる為の、救済の処方箋なのです。

膜宇宙と並行宇宙

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私達一人一人が自分だけの宇宙の中にいますが、

宇宙は、シャボン玉のような膜のようなもので、
覆われています。

そして、私達が人と一緒にいる時には、シャボン玉の膜が重なります。

大勢が一緒にいる時は、沢山のシャボン玉が重なり、それぞれの膜を作り上げていて、これを膜宇宙と言います。

ですから、それぞれの沢山の別の膜は、私達の選択によって生まれた、別の宇宙です。


そして私が、AかBのどちらかを選択にせまられて、

悩んだあげくにAを選択したなら、残りのBは、別のあなたが選択して、AとBの、それぞれの膜が作られます。

あなたが選択しなかったBは、別のあなたが、Bの宇宙の幕を選択します。

Bを選択した、別のあなたの宇宙が沢山あり、それが並行宇宙です。

並行宇宙は、あなたの選択が永遠に続いて、作られたものです。


ですから、AからZまでの全ての宇宙があなたです。


現在あなたが悲しい人生を体験してるとしても、別のあなたは、別の時空間で、楽しく笑っているかも知れません。

あなたがあの時に選択を間違えた!と思い、
Aではなく、Bを選ぶべきだったと後悔していても、

Bの宇宙にいるのもあなたです。

こうして、私達は常に選択をしながら、その都度、別のあなたに分かれ、

山のあなたを生産します。

私達は始まりから、選択の舞瞬を、別の私を生産し、成長し変化させて来ています。

地球に70億の人がいて、その中には、あなたが好きな人も、嫌いな人もいますし、

現在のあなたが想像も出来ないような、人もいますが、


全てがあなたです。


重なる膜宇宙は、それぞれに細かく周波数が違うので、重なることが出来るのです。

ですから、あなたと近い周波数の人はいても、全く同じ周波数の人はいないのです。


何かを選択する度にあなたは、沢山のあなたを生産し、拡張させ、沢山のあなたがあなたを表現しているのです。

ですからあなたは、全ての次元、時空間にいて、全てがあなたであり、

それぞれのあなたを、深い愛を持って見つめているのもあなたです。

夢と現実が逆さまの世界

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私達は眠ってる間に夢を観ますが、

夢の中では、親しい人達が集まっていたり、例え、喧嘩別れした友達とも笑って仲良くしていたりします。

そして、部屋だったり、町だったりという背景の設定もしっかり出来てます。

ですがその夢は、当たり前ですが、ただの夢であり、現実ではないと気づきます。

夢を観ている私も、その夢の中に登場した人物や、部屋や町の背景などを、
実際のことのように観ていますが、

目が覚めて見ると、夢だったと知ります。

そしてその夢は、意識が創った幻想だと、私達は分かっています。


夢の中では、夢だと言う事実に気づきません。

夢は一瞬で全てが現れていて、全てが一瞬で創られています。

楽しい夢だったら、目が覚めてがっかりしたりしますが、

本当は、夢の中の背景や時代、人物が揃ったその夢は、
創ったのも、観ているのも私です。

夢の中で、一瞬で広がっている全てが、

私が観ているのと同時に現れるのです。

夢を創った私と、観ている私は、同時であり、それは光の速度より早いです。


量子力学でいう、観察する者と、観察される者は一つです。


私達が眠っている間は、エゴが弱くなっていますから、

私はエゴから自由になって、本来の私の想像の力を、自由に操れるのです。

私が意識した瞬間に、現実も同時に現れるのです。

ですが、それを知らない私達は、昨晩、夢を観たと言うだけです。


そして朝、目が覚めると、現実に戻ったと言います。


ですが現実というこの世界も、私自身が創った夢の中です。

ただ、現実は私の意識だけでなく、私のエゴの力が、強く働いていますから、
私の思うように行かないのです。


ですから、毎晩観ている夢の世界が、私達の本当の世界かも知れません。


寝ている時の私達は、エゴから解き放たれ、やっと自由な本来の想像の力を発揮出来る、


本来の私に戻っています。


エゴが眠ってる時は、私達の本来の意識に戻って、軽くなりますから、

私達は、自由に非物質界へ飛んで、自由な発想が出来ますが、

朝、目が覚めるとエゴも一緒に目覚めますから、

地球の重い重力の下で、重苦しい現実という、1日をスタートさせるのです。


眠ってる間、エゴから離れた自由な私達の意識が、本来の私達であり、

会いたい人に会って、手を繋ぎ、一緒に空を飛び回る、自由で幸せな夢を想像するのが、


本来の私達の意識ですが、


今朝も目が覚めて、1日をスタートさせる為にしぶしぶと支度を始める、その時から本来の私を忘れて、

逆の現実の「夢」の中に入るのです。

鬱から目覚めへ

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大きな苦しみや、強い鬱などの、暗い闇にいる人が、
一点の小さな光を見つけた時に、その闇の全てが一気に光に変わるのです。


抱えていた闇が大きいほど、大きいな光に変わります。

この二元性の世界では、常に相反する感情が現れていますから、

苦しみが現れれば、同時に喜びも現れています。


ですが地球には、時間差がありますから、次の感情が来るまで時間がかかりますから、

苦しみが去った後に、喜びが来て、憎しみが去った後に、愛の感情が現れるのです。

逆に、喜びの後に苦しみが来て、愛の後に憎しみが来ます。


現れた感情が強いものなら、反対の感情も強く現れます。


ですから、強い苦しみや、強い鬱状態の後は、表現出来ないほどの、強い喜びが来ます。

それは目覚めに近い感覚です。

突然、世界の美しさに恍惚感を感じ、生きてる喜びに浸り、ただ感謝する気持ちしかなくなります。

そしてようやく、自分が誰かに気づくのです。


それほど強い苦しみでなくても、

嫌な感情が現れたら、それを嫌がらずに感じてあげれば、目覚めが早くなります。

嫌な感情の苦しみの中に入ってしまえば、嫌な感情を感じざるを得ませんから、

嫌な感情の次にくる喜びを感じやすいのと同時に、色々なことに気づき、覚醒しやすくなるのです。


苦しいことが続くと、私達は、それに抵抗する力を失いますから、
苦しみと直面するしかありません。

強い鬱の苦しみから、逃れられずに、ただ、ただ、鬱と直面して、鬱の中にいると、

強い苦しみの後に、強い喜びが現れますから、大きな喜びが現れ、

それに驚き、その強い感情の衝撃が、脳のシナプスを急いで連結させるので、

脳は目覚めるしかないのです。

宇宙は、私達に目覚めを促す為にさまざまな苦しみを与えてくれます。

それは私が、私にくれる愛のプレゼントです。

子供の自立の為に、わざと厳しくする父親のような深い愛です。


私達は、魚を取る網に取られてる、自分が何者かを忘れた神々です。

それに気づかせる為に、強い苦しみの嵐を与えて、余計な考えを、吹き飛ばしてくれたのです。

これは、
3次元ゲームから目覚める為に、私が私に仕掛けた網であり、

そろそろ3次元から抜け出す時であることを、知らせるベルでもあります。

3次元ゲームから抜け出す

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私達は、

この世界が目で見えるし、聴こえるし、匂いが嗅げて、舌で味が判別出来て、触れる感触を感じますから、

この世界は本物だと当たり前に思っていますが、

この世界はただの幻想であり、見えるもの、聞こえるもの、匂いや、味、感触などの全てが、

原子と電子の動きに過ぎません。


森羅万象は原子で出来ていて、原子の周りを凄く早いスピードで、電子達が回ってますから、

物体が見えて触れるだけです。

起きてくる全ては、私達の心が造り出した世界であり、

本来は何もないのです。


私達は、あの人が好き、あの人は嫌い、あれは良い、あれは悪い、などと、あらゆる事柄を判別して見てますが、

そう判別している心が、全てを造り出しているだけです。


私達は、舞瞬を何かを判別し、それに従う感情の、憎しみや、怒り、悲しみ、苦しみを造り出して、それを本当だと思い込みます。


私より、良い生活をする人に嫉妬し、嫉妬の心が劣等感を呼び寄せ、

劣等感から抜け出す為に、憧れが生まれ、憧れる対象に執着します。

執着したものが手に入らないと、挫折や、怒りや、非難する心が現れます。

この世界は、私達の心を映してる鏡です。

嫉妬も、憎しみも、憤怒も、勝負心も、自慢心も、悲壮感も、劣等感や望みや、執着などの全てが、

私達自身が創り出した、「一切有心造」です。


静かな湖に、石が落ちてぶつかれば波紋が起きます。

それを私達が、
落ちた石は悪い、あんな落ち方をしてはいけないなどと言う、非難や、怒りを覚えるようなものです。

私に石が落ちてぶつかれば、傷を負った、殴られた、負傷したと怒り、

又そういうことが起きては大変だと恐怖します。

湖に石が落ちても、すぐに波紋は消え、元の静かな湖に戻りますが、

人の心は、落ちた石を受け入れらず、判別し続けて、波紋をますます広げて行きますから、

人の心は、憎しみと恐怖でいっぱいになります。


私達自身が、落ちた石を受け入れず、いつまでもそれに怒り、憎しみや悲壮感を造り出しているのです。


私達は本来根源の心であり、湖よりも大きい存在です。


ですが、この世界に生まれた瞬間から、本来の自分を忘れて、エゴのゲームにハマるのです。


湖に落ちた石は、一瞬波紋を起こしますが、湖は石をありのままに受け入れますから、

湖は、すぐに元の静かな湖に戻ります。


ですが私達は、自分に起きた事柄を受け入れられず、

怒り、憎み、非難し、恨みや、恐怖を、いつまでも造り続けてるのです。


この世界が幻想であり、私達自身が創ったゲームの世界であることに気づくなら、

そして、私達の体は原子の集まりで、原子が集まって一時的に、人間の形を形成されているだけのことを知れば、

全てをありのままに受け入れられます。


この世界は、感情が感情を呼び寄せますから、
いつまでも、怒りや悲しみや、非難、恨み、恐怖に支配されるのです。


この3次元の世界が、私達の全てだと思ってるから、怒りや、悲壮感が現れるのです。


体が私の全てだと信じてるから、人生が儚く感じられ、怒り、悲しみ、苦しむのです。


ですが、体が私ではなく、私は無限の心です。


私は、有限の体を持って、有限の3次元のゲームに参戦している、無限の存在です。


無限の存在は、傷を負って儚く消える存在ではありませんから、

何が起きても、起きるままに受け入れることが出来ます。

私達が、起きることをありのままに受け入れることが出来れば、

この3次元のゲームはwinとなります。

全てに散らばってる私

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この世界は私達の心を移す鏡の世界です。

宇宙は本来、「空」ですが、

「空」に地球と言うスクリーンを置いて、私達の心を映し観ています。

スクリーンに映ったものに良い、悪いはありません。


地球のスクリーンは、コンピュータゲームのキャラクターの動きを映す鏡のようなものですから、

私達が何かしら、知りたいことの体験の為に、それに合ったキャラクターを自ら創り、

創られたキャラを演じながら、その過程を体験してるのです。

人の体や、動物や昆虫や、あらゆる森羅万象の立場になって、体験していますから、森羅万象が私であり、あなたです。


沢山の「私」に分離させた「私」は、全ての場所、全ての次元、全ての時空に存在し、

それぞれの私が、それぞれ観たい世界を選んで、体験しているのですから、

全てが私であり、良い体験も、悪い体験も、立派な人も、駄目な人もいないのです。

良い、悪いの概念の無い私は、色々な条件を設定して、その条件下での私の心の動きを観ているのです。

この世界での私が、悲しんで、苦しんで、時には死にたいほどに辛い思いをしても、

本来の私は、その体験を楽しみ、喜んでいます。


私達の魂は、私達の体を使って、世界を体験します。

男でも、女でも、格好良くても、悪くても、性格が良くても、悪くても、

それぞれの体験に合った体を創り、その五感を通して、映し出された、映像を観て、感じて、色々な感情を体験しています。


本来の私達がいる世界は、愛です。

無条件の愛です。

愛は、愛でないものを知りたいが為に、この世界を創って体験を始めたのです。

私達の愛の逆である闇を、体験したかったのです。

光は闇がないと光だと認識出来ないし、

黒がないと白が認識出来ませんから、

知識としては知っていることを、五感を通して、観て、感じて、体験しているのです。

ですから「私」は、

地球と言うスクリーンを通して、「私」が選んだそれぞれの闇の映像を、それぞれの「私」が体験しているのです。


私達は今回の、体験の場として選んだ、地球のスクリーンに、私達の心を映して、毎日、起きてくる感情を体験していますが、

実はこの世界は、スクリーンもなく、映るものもない、何もない「空」であり、幻想なのです。

宇宙の光が映写機となって、私達の心がスクリーンに映し出された映像ですが、

それを私達は、本当の世界だと錯覚して、生きているのです。

私達の体は原子で出来ていて、原子の周りを回る電子達は、互いに押し合う性質の為に、私達の体を触れるのです。

私達の体以外の、全ても同じです。


良い心を持てば、スクリーンに、良い人生を映り、悪い心は、悪い人生が映し出されますが、

「私」は、既に知っていることを、五感を通して、リアルに体験しているのです。

殴られなければ、痛みが分からないし、飢えた人の悲しみも、愛する人と離れた苦しみも、

直接体験しないと分からないですから、

ですから私達は、あらゆる方面の体験を選んで、来ているのです。


「私」を体験したい「私」は、

「私」でない、別の存在が必要でしたから、

自分でない分離した存在を創り出して、

この世界は分離しているように観せかけて、自らの記憶を消して、分離の体験に飛び込んだのです。

分離や恐れのない、愛だけの私は、

愛でない「分離」と「恐れ」と言う幻想を創りだして、それを体験している最中なのです。

その全てを創り出したのは全ての「私」であり、

全ては、一つのエネルギーで、

全てが一つの一点から始まっていますから、

私達は一つであり、私達が分離した「私」を体験しながら、「私」を、創造し続け、変化し続けているのです。