感情は観て、感じて、認めてあげれば、感情は満足してあなたから離れます。
そして嫌な考えが上がって来た時にも、あなたが観て、感じて、認めてあげれば、あなたから離れます。
私達は観察者であり、観察者は無限の愛と平和であり、無限の心の空間です。
ですから、どんなことも受け入れ、どんなことも受け流せる無限のスペースが、私です。
なのに、この物質世界にいる私達は、エゴが私だと錯覚していますから、
ついついエゴの世界につられ、苦しい現実を生きています。
体と言うエゴを持っていますから、
私達は体に縛られている何かの、
罪深い者のように思ってしまっていますが、
ですが、無限の愛の意識が私であり、私は観察者であることを思い出すべきなのです。
現実の動きは観察者の光の動きです。
現実の動きは、観察者の愛の光の動きですから、
観察者である私が、私の考えをじっと観て観察してあげれば、
体(エゴ)の考えや感情は、愛の空間へと消えて行きます。
エゴは観察者が見つめると消えます。
この世界は、物質体験をする為に、沢山の体に分離したエゴですが、
物質世界であっても、私達が観察者であることを思い出すなら、
私達は観察者の愛と平和で居られるのです。
ですから、観察者がエゴの考えや感情をじっと見つめてあげれば、
考えや感情の生命体達も、
愛と平和の世界へ戻れるのです。
ですが私達はついつい、考えや感情を私のものだと錯覚して、
その考えや感情が現れる度に、驚き、嫌がり、それを無くそうとして、抵抗するから苦しむのです。
体は光の動きに過ぎませんから、
考えや感情も、光の動きです。
それを私達は、私の世界だと思い込みますから、
悲しみや、憎しみや、苦しい感情を押さえ込み、無意識へ追いやり、
沢山の嫌いな私を創り出しているのです。
そして、無意識に追いやられた沢山の感情達は、
私から離れることが出来ずに、私にぐっついて、私のように振る舞います。
そして、恐怖、劣等感、挫折、みじめ、怒り、虚しさなどの考えが、次から次へと現れます。
私達は、この沢山の私を創り出して、それが私の世界だと勘違いし、
悲しんで、苦しんで、憎む人生映画を自ら創り出し、それを繰り返しています。
私達は、私の考えの中に閉じ込められた世界から、抜け出せないでいるのです。
私達の考えの世界にはまっているのですが、それに気づきません。
私達は観察者です。
私は本来観察者であることを思い出して、
観察者として、私の考えや感情を観るなら、
この物質世界にいても、
苦痛のない人生を生きられます。