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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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考えや感情を流す

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感情は観て、感じて、認めてあげれば、感情は満足してあなたから離れます。

そして嫌な考えが上がって来た時にも、あなたが観て、感じて、認めてあげれば、あなたから離れます。


私達は観察者であり、観察者は無限の愛と平和であり、無限の心の空間です。

ですから、どんなことも受け入れ、どんなことも受け流せる無限のスペースが、私です。


なのに、この物質世界にいる私達は、エゴが私だと錯覚していますから、

ついついエゴの世界につられ、苦しい現実を生きています。


体と言うエゴを持っていますから、
私達は体に縛られている何かの、 

罪深い者のように思ってしまっていますが、


ですが、無限の愛の意識が私であり、私は観察者であることを思い出すべきなのです。


現実の動きは観察者の光の動きです。

現実の動きは、観察者の愛の光の動きですから、


観察者である私が、私の考えをじっと観て観察してあげれば、

体(エゴ)の考えや感情は、愛の空間へと消えて行きます。

エゴは観察者が見つめると消えます。

 
この世界は、物質体験をする為に、沢山の体に分離したエゴですが、


物質世界であっても、私達が観察者であることを思い出すなら、

私達は観察者の愛と平和で居られるのです。


ですから、観察者がエゴの考えや感情をじっと見つめてあげれば、

考えや感情の生命体達も、

愛と平和の世界へ戻れるのです。


ですが私達はついつい、考えや感情を私のものだと錯覚して、

その考えや感情が現れる度に、驚き、嫌がり、それを無くそうとして、抵抗するから苦しむのです。


体は光の動きに過ぎませんから、


考えや感情も、光の動きです。


それを私達は、私の世界だと思い込みますから、

悲しみや、憎しみや、苦しい感情を押さえ込み、無意識へ追いやり、

沢山の嫌いな私を創り出しているのです。


そして、無意識に追いやられた沢山の感情達は、

私から離れることが出来ずに、私にぐっついて、私のように振る舞います。

そして、恐怖、劣等感、挫折、みじめ、怒り、虚しさなどの考えが、次から次へと現れます。

私達は、この沢山の私を創り出して、それが私の世界だと勘違いし、

悲しんで、苦しんで、憎む人生映画を自ら創り出し、それを繰り返しています。

私達は、私の考えの中に閉じ込められた世界から、抜け出せないでいるのです。

私達の考えの世界にはまっているのですが、それに気づきません。


私達は観察者です。


私は本来観察者であることを思い出して、


観察者として、私の考えや感情を観るなら、


この物質世界にいても、
苦痛のない人生を生きられます。

感情は観てあげれば消える

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人から非難されたり、触れたくない部分を言われると、

私達は傷つきますし、辛い感情を感じますが、

他人からの言葉や態度で、傷ついたと感じるのは、

実は私の中に、解消されずに無意識の中に閉じ込めた感情があり、

他人の言葉や態度によって、無意識の中に閉じ込められてる感情に、気づけるのです。


私達は互いに、相手の無意識の中に閉じ込めた痛い感情を刺激し合い、
互いの感情を浄化させてあげるための、鏡の役割をしているのです。


ですから相手が私であり、互いに無意識の中で一つなのです。

ですから嫌な感情を感じたら、腹を立てるのではなく、あなたの感情をありのままに感じてあげて下さい。


私達は、感じたくない感情は押さえ込み、それに気づかないフリをして、その感情を無意識の領域に追いやります。


あなたが子供の頃、両親や兄弟が嫌いでも、嫌いな感情を見せずに押さえ込んだ感情がまだあるとします。

すると大人になって、パートナーやあなたの子供が、あなたを嫌らうようになります。

それは、あなたが隠していた感情を一番身近な人に、知らずに投射しているのです。

あなたは、自分を非力だと思いながらも、その非力さを隠して、頑張っていると、

一緒にいるパートナーや子供が、あなたの無意識を映し、非力な姿を見せます。

周りにいる人が皆んな、あなたの無意識の鏡ですから、
あなたが隠しているあなたの、本当の感情を映し出してるのです。

そして、その隠している感情を、あなたが気づくまで、その場面は続くのです。


人の何気ない態度に腹が立つ場合も、あなたの深い部分に、怒りや罪意識や羞恥心などが隠れてるからです。

私達のエゴは、嫌な感情を見ないフリをして、楽しい感情だけを感じようとしますから、

見ないフリした感情は、誰かの態度で映し出され、

それは、あなたが観てあげるまで反復されますから、

見ないフリをやめて、私は何故怒りを感じるのか、
パートナーや子供が、あんな態度を取るのは何故か?と、考える必要があります。


憤怒を感じる時は、その感情を解消する時ですから、

怒りを感じたら、
私がこの怒りを感じる理由は、私が嫌って無意識に追いやった感情なんだ、

あるいはこの怒りは、私が嫌われることを恐れて、隠していた感情だった、などと、正直に感じてあげることです。

それを表面意識に上げて、意識的に感じてあげれば、無意識は浄化されます。


エゴは、感じたくないものを嫌い、避けようとしますし、
そのエゴが私だと思い込んでいますから、

ついエゴに引っ張られてしまい、良い、悪いと区別し、避けようしますから、苦しくなります。


私達はエゴではなく観察者です。


観察者は、エゴがやっていることをただ、観て感じてあげれば良いのです。


私達は、それぞれがエゴを持ちバラバラに散らばって、バラバラな体験をしてるから、

あなたや私が、分離してる存在だと思っていますが、

私達は一つであり全体です。

全体をありのままに観る観察者であることに気づくなら、苦しみはなくなります。


私達は、私と言う個人が私ではなく、私達のそれぞれのエゴが映す世界を体験し、それを観察する観察者です。

観察者は愛ですから、どんな感情も、観察者が観て感じてあげれば、感情は癒されて消えて行くのです。

12因縁の苦しみ

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人の苦しみは仏陀の教えである12因縁から来ますが、


仏陀は、私も世界もない、目に見えるもの全てがない、無であり、空だと言います。


なのに私達は「生まれた」と錯覚してますから、私は「有る」と思い、


誰もが、私は「有る」と言う勘違いの「無明」を生きています。


そして、この無明から12因縁が起きて来ます。


私達は目に見えてるものを欲しがり、他人からも愛されようと必死になります。


つまり「愛」に「執着」して、愛したものを手に入れる、「取る」「行動」をします。

無明の中で愛を感じたものを、手に「取る」「行い」が「有」って、その意識が又「生」を作りだします。


有る→執着→取る→行動→生を、繰り返します。


生が生まれれば、老、病、死、も生まれますから、私達は繰り返し、生、老、病、死、の苦しみを生きることになります。


私も世界も無いのに、有ると言う勘違いの世界の無明を生きてるから、

有(生)→気(錯覚)→触→受→をして、
その為に、老→病→死、を招いてると言うことです。


有ると言う勘違いから、

目の前にある対象を見て「愛欲」を感じて、

それを「取る」行動をし、「触」し、「受」し、

やがて、「老」いて、「病」になり、「死」を迎える、の繰り返しです。


愛した人や家や車などを手に入れようとする「原因」があり、

愛したものが、いずれ古くなって、傷ついて、死にますから、

私達はその度に苦しむ「結果」を作り出してるのだといいます。


こうして12因縁が廻り続けることを、苦しみの輪廻といいます。


この世界は幻想であり、何もない「無」であり、「空」なのに、有ると錯覚して執着しますから、

老、病、死、の苦しみが後からついて来るのです。

人の苦しみの全ては「有る」と言う妄想から、12因縁の苦しみを生きることになります。


私達の苦しみは進化や目覚めの過程でもありますが、


だからこそ、この世界が幻想だと言う事実を早く知れば「無明」からも抜け出せるし、


そうなれば、生きる苦しみがなくなって、

涅槃の喜びを生きることが出来るのです。

楽しいことを探し回ると不幸が起きる

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楽しいことを探し回ると不幸が現れる。

現在に不満がなくても、なんとなく、何かが足りないと思っていて、何かしら楽しいことを探し回る人が多いけれど、

宇宙は、その人が不幸を欲しがってると解釈する。


神様!不幸が来れば、今の生活がどんなに幸せかを知ることが出来るから、
その為に私に不幸を下さい!と願ってるようなものだ。


又は、現在が充分に幸せで、足りてると思う人は、その幸せを人に分けたくなるから、

すると宇宙は、その人に更なる幸せを持たらせてくれる。

神様!現在の幸せに満足していますから、この幸せを人にも分けたいから、今の幸せを続けさせて下さい!と、宇宙が受けどるからだ。


健康な人が体の不自由な人を助けると、自分の健康を喜び、改めて感謝するから、

宇宙も、健康を喜ぶと解釈して、更に健康を贈ってくれるし、

少しのお金を持ってる人が、そのお金で人を助けると、自分は豊かだと思えて来て、感謝する気持ちが湧くし、気持ちにも余裕が出来る。
 
すると宇宙も、続けて豊かさが欲しいんだね?と、解釈して豊かさをどんどん贈ってくれる。


事故で、体を損傷した人は、事故前の健康状態が、どんなに幸せだったかを、やっと知ることが出来る。

もし、地下鉄などの事故で沢山の人が死んで、自分だけ小さな傷で済んだなら、良かった、ありがたいと言う気持ちが湧くはずである。
何もなかった時より感謝出来るはずである。


だが普段の殆どの人は、事故も傷もないのに、不平、不満を言い、もっと良いものを探し回るから、

宇宙は、感謝の気持ちを教える為に、不幸を贈るのだ。

不満な気分は、現在にある豊かさを知らないから起きる。

不平、不満だらけの人は、

どうか神様!現在の幸せに気づきたいから、幸せの再確認の為に不幸を下さい!と、宇宙に頼んでいる姿勢だから、

宇宙は事故や不幸を贈ってくれるのだ。

だけど、現在持ってるものを喜び、感謝して、人と分けるほどに、充分だと思う人には、

宇宙は、それがあなたの幸せなんだね?と解釈して、さらに豊かさをもたらせてくれる。

宇宙は、その人の気持ちのままに与えてくれる。

不平、不満を言えば、不平、不満を返してくれるし、

お金がない、愛がないと言い続ければ、お金がもっとない、愛がもっとない世界をくれるだけだ。

満足する人には、更なる満足を与え、人と分ける人は、更に分け与えるほどのものを贈ってくれる。

宇宙の法則は、この上ない校正、公平である。


だから、お金もあり、家族が幸せなのに、何かしらの不足感を感じてる人は、
宇宙に不幸をねだっている状態だと言える。

そう言う人に大きな不幸が現れれば、現在の不平、不満など吹っ飛ぶ。


だから、不幸が現れる前に、足りてることを知って、

感謝の気持ちを持ち、更に人を助ける生活を送るなら、不幸が現れることもないし、

現在の幸せをもっと確実にさせることとなる。

高度な知能の素粒子が人の人生を創り出してる

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全ての森羅万象が素粒子で出来ていますが、

素粒子は粒状のものではなく、波動ですから、

私達も波動です。

波動なのに、観えたり、触ったり出来るのは、素粒子の動きが、押し合う性質を持っているからであり、

本来は、目に見えることも、触れることも錯覚です。


森羅万象は、
早いスピードで動く素粒子に光が当たってる映像です。

ですが、目に観えてるし、触れるから、

全てが存在していると思い込み、必死になってしまってるのです。


素粒子は高度の知能を持っています。

その素粒子は、私達の心を読み取り、私達の心のままに、人生を創り出してくれます。

ですから、私達の人生は私達自身が創り出してるのです。

素粒子は、私達が常に関心を持ってるものを持って来ます。

素粒子は、私がなりたいと思ってる私を創造してくれる、魔法のような力を持っています。


ですが、素粒子が読み取るのは、私達の無意識ですから、

私達が、無意識で考え続けてることが、現実になるのです。

素粒子は私達の無意識を読み取るのです。


素粒子は高度な知能を持っていますが、良い悪いの判断をしませんから、

私達がどんなに良くない無意識でいても、その無意識のままに動いてくれてるのです。

人間から見れば意地悪にも思えますが、それが宇宙であり、宇宙には良い悪いや、善や悪がありません。

全てがありのままに良くて、ありのままに完璧で、美しいのです。

ですが、地球では良い悪いの判断の連続ですから、私達は、色々な制限の中で生きるしかありませんが、

この素粒子の存在を理解出来れば、望みのままの人生が手に入るのです。

ですが、思いのままの人生を手に入れる為には、普段から無意識を知って置く必要があります。

表面意識であれこれ考えても、素粒子を動かすのは、無意識ですし、
無意識の力に表面意識が勝つことはありません。

引き寄せの法則でも無意識の動きだけが反映されます。


私達が無心でいる状態では、表面意識が静かになっていますから、心が静かになり、願い事も叶いやすくなります。

無心で歩いたり、瞑想したり、何かに熱中している時などは、良い考えや、ひらめきが現れやすいのです。

ですが、再び世間的な生活へ目を向けた時点から、心は騒がしくなります。

特に、物質や、人への執着がある時は、心が休まる暇がありません。

心が休まる暇がない状態が続くと、その意識が無意識の中に入って行きます。

そしてその無意識を素粒子が読み取って、

心が休まる暇がない状態を、せっせと創り続けます。

高度の知能と力を持つ素粒子は、私達の無意識の、充実な僕なのです。

素粒子は良い悪いの判断をしませんから、私達が欲しがるものをただ、実現させてくれるのみです。

ですが宇宙の根源は、愛ですから、愛のない要求が叶っても、その状態が続くことはありません。

人を助ける愛あるお金持ちは、お金持ちの状態が続きますが、

愛がなく、自分の欲だけで生きるお金持ちは続かず、悲惨な結果を生み出します。

ですから望む人生を得るには、素粒子の性質を理解し、又、慈悲深く生きることのようです。

そうすれば、この上ない幸せな人生を生きることが出来るのです。

パートナーや子供が嫌いな時

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あなたは私で、私はあなたです。

全ての人があなたで宇宙全体があなた1人です。

元々一つのエネルギーが分かれて、

それぞれの、体(五感)を持って、それぞれが、別々の場所、別々の環境で生まれたから、

皆んなが違って見えるし、それで、他人がいると勘違いしているのです。

そして私達は、分別の世界にいますから、あの人は嫌いだ、変な人だ、私とは合わないと考えます。

そして地球には競争がありますから、

他人より沢山持っていたい、他人より賢いと言われたい、他人より幸せでいたい、などに執着し、競争して、
人を憎み、嫌い、恐怖する存在としてみなしています。

元々一つのエネルギーを分離させて、それぞれが、自分の選んだ体験を生きてるだけですが、それに気づくことが出来ません。


ですから、体や、五感があなたではありません。

一時的に分離を体験している最中ですが、それが全てのように思い、
現在の体や五感だけが、自分だと勘違いしているのです。


現在、あなたがとても嫌いだと思ってる人も、あなた自身です。

あなたには、あなたが嫌いな部分があり、

その自分の嫌いな部分を、他人に見せないように気を使いますが、

他人が、あなたの嫌いな部分と同じ部分を見せてくると、
あなたは、その人を嫌います。

なんて人なの?と腹を立てます。

それが家族だったり、パートナーだったりすると、余計に腹立たしくなります。

あなたの周りにいるあなたが嫌いは人は、あなた自身であり、あなたの中に隠している、もう一人のあなたです。

相手はあなたの鏡ですから、
あなたが無意識の中に追いやった、隠れてる意識を映し出してくれてるのです。

ですが、あなたがあなたの嫌いで隠してる部分を、相手が見せてくれてますから、

あなたはその人が許せなくなるのです。


それは、あなたがあなたの嫌いな部分を許していないからです。


相手があなたの子供の場合は、それを受け入れることが難しくなったり、そんな大人に育って欲しくないと、思いますが、

本来は、全ての人が一つですから、あなたが持っているものは、全ての人が持っているのです。

ただ、育った環境や違う両親の影響を受けてますから、
表現が違うだけですし、良し悪しも違うのです。

そして、良し悪しは本来ありませんが、人のエゴが、これは良い、これは悪いと、分別しただけのことです。

世界の国の常識が全部違うように、
人の良し悪しも全て違います。

ですから、あなたが良し悪しを決めなければ、全てはありのままで良いのです。

あなたの宇宙ですから、宇宙は、あなたの思いのままに動くのです。


ですから、あなたの中にある、あなたが嫌ってる部分を観てあげて、それを認めて受け入れるなら、

人がどんな行動をして来ても、嫌いになりませんし、
あなた自身のことも、ありのままで良いと思えるのです。

私達は、生まれた瞬間から根源の愛から分離され、不安の中にいます。

分離された根源の愛を、
私達を産んでくれた両親から得ようとしますが、

両親も根源の愛から分離された、悲しみを持っていますから、

私達が願うような、完璧な愛や、無条件の愛には中々恵まれにくいので、
私達は愛のない暗闇で苦しみ、その悲しみから愛を探し回るのです。

ですが、あなた自身が愛であり、あなた自身が根源なのです。

そして、全ての人が一つで、全ての人があなたです。

全ての人を受け入れ愛するなら、あなた自身をも無条件に愛せるのです。


全ての人があなたですから。


家族やパートナーを良く観察して観て下さい。

そうすれば、早くも気づく事が出来ます。

あなたがあなたの子供であり、あなたが、あなたのパートナーである真実が見えてくるでしょう。

人の無意識と量子力学

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既に量子力学では、この世界には固定したものは実在していないと言っています。


この世界は私達の心を、光が映してる鏡の世界です。

人の人生は、夢を観ているようなものなのに、
その夢の中で執着します。

人は、寝ながら観る夢を夢だと認識しますが、昼間も夢の中です。

私達はそれを知らずに、人並みに、あるいは、人より良い生活に執着し、必死になっています。


実際、目に観える世界があるし、触れられるし、空気があり、家族や他人がいるのに、

それを実際ではないと言うと、誰でも困惑すると思いますが、

映画がI秒に24枚のフィルムで動いてますが、
私達の人生映画は、I秒に1044回の光が当たって動いています。

森羅万象も人も、原子で出来ていて、原子核の周りを電子達が早いスピードで回っています。

動かない石の中でも、電子達は目に見えない早いスピードで回っています。

電子は全部マイナスの性質ですから、互いに押し合うためにぶつかりません。

押し合う力の為に、人やものを触っても感触があるのです。

私達がこの世界を創って、それを直接体験しています。

ですから、この世界は幻想であり、生まれる前に互いに決めて来た役割をしながら、互いの感情を観察しているのです。


宇宙には、紫外線や、赤外線などの光がありますが、

人間は可視光線しか観られないようになってるので、私達は、宇宙の一部しか見えません。

ですから、この世界だけが全てで、実際のように見えていますが、

全ては量子の動きである波動です。


量子は、観察していない時は波動で、
人が観察してると、粒子に変わりますが、それは、人の気持ちを読んで動いてるからです。

人が、量子のような粒子は、固い粒のような物のはずだと、決めて観てるから、

量子は人の心を読んで、固い粒のようになって見せてるのです。


人同士も、相手の気持ちや要求を、何となく解りますから、出来るだけ相手の気持ちに沿う行動を取りますが、

森羅万象を構成している粒子達は、相手の心を読んで、その通りに動いて見せるのです。


でも量子は波動ですから、人が観ていない時は波動に変わります。

波動の動きは予測不可能で、まるで量子は自分の意思があるように動くので、
アインシュタインは気味が悪いと言って、量子力学を嫌いましたが、

私達の人生も波動であり、予測不可能であり、常に波打ちの世界です。


ですが反面、量子は人が考えてる通りに動くのですから、

愛を持って世界を観る人には、愛を返して、
憎しみを持って観る人には憎しみを返します。

宇宙には人と鏡しかないと言う話しもありますが、

量子の働きが鏡のようなもので、
量子は私達の心を読んで、
私達が思っている通りの、現実を創ってるのです。

量子が森羅万象であり、私達ですから、私がどんな気持ちで世界を観るかで、
観える世界を、その通りの現実に創って、観せてくれてるのです。


そう言われると、人は良い感情だけを感じようと努力しますが、

量子は人の無意識を読みますから、
私達の無意識の中にある、隠れてる本当の気持ちに気づく必要があるのです。


無意識に気づくことは、そんなに難しくありません。

日頃上がってくる想念を観てあげればいいのです。

上がってきた想念に対して、ジャッチせず、ただ、認めることです。

人を憎む想念が上がって来ても、

あ、私の気持ちの中に、そう言う気持ちがあるんだ、と、

ただ、認めればいいのです。

そんな気持ちを持っていてはいけないとか、
私は酷い人間だとか、などのジャッチをせずに、

ただ、ありのままに観てあげればいいのです。

母親が5歳の子供を観ているように、
一々ジャッチを入れずに、ただ認めてあげれば、

認められた想念体は満足して離れます。

子供が安心すれば、母親から離れて遊ぶように、

あなたから認められた想念体は、あなたに感謝し、あなたから離れ、
やがてあなたを助ける存在となってくれるのです。