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himeroguのブログ

スピリチュアルブログ

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考えの法則

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私達の人生は、根源の考えの中にあります。

根源は観察者であり、観察者は私達であり、私達は根源の心です。


最近は、この世界は幻想、あるいはシュミレーションなどと言われることが多くなりましたが、

私達全体が一つの夢を観ているのだとも言えます。

一人一人分離し、それぞれが自分の考えを持って生きてるように見えますが、

私達の人生は、根源の考えの中で繰り広げられてる夢ですから、

あなたや私が考えてるそれぞれ違うように見える考えも、
根源から出た一つの考えです。

あなたが何かを考えたり、それに対して感じる感情を、一々あなたの感情だと思うと苦しいですが、

その考えや感情を観ている根源が、あなただと言うことを知るなら、苦しくなくなります。


私達が夜に観る夢のように、

私達の人生も、根源が観ている夢でもありますから、

私達が個人としての私から離れて、根源としての私を生きるなら、

根源の一部ではなく、全体として観ることが出来ます。

色々な人生があり、一人一人考えも違いますが、

私達の考えには法則があり、その法則を知れば、人は皆んな一つだと思えるようになります。


例えば、あなたが誰かに迷惑をかけてしまったと考えてるとしたら、

反対側には、迷惑をかけられたと言う考えが同時に現れてるのです。

ですから、迷惑をかけたあなたも、かけられるあなたも一緒であり、一つですから、

迷惑をかけられると言う相反な考えがいずれ経験として現れるのです。

あなたが、人のお金を盗んだとしたら、

あなたのお金が盗まれると言う考えも反対側にあり、

あなたのお金が盗まれる現実が現れます。

あの人に傷つけられたと思っていると、あなたがあの人を傷つける現実が現れてます。

両方ともあなたですから。


根源があなたですから、根源の考えの中で、あなた一人で遊んでいるのです。


私達の考えや感情は常に相反する姿で現れていて、上がったり下がったりしますから、

その感情につられて行くと、両方を体験し合う、苦しみのサイクルを生きることになります。


私達はエゴが私だと勘違いして必死になってるから苦しいのです。

ですが、何かの考えや感情が上がって来た時に、私達が観察者として物事を観るなら、

考えや感情から離れて、余裕を持って生きることが出来ます。

波が次から次へと起きる海の中で、その波と格闘する必要はないのです。

海から出て、海の波を優雅に眺める者があなたであり、

全ての物事を見つめている者があなたです。


ですから、起きてくる考えや感情と戦う必要はないのです。

起きてくる考えや感情と一緒になって、上がったり下がったりと言う、

ゼットコースターのような人生を生きるのではなく、

海の波を眺める側、つまりあなたが観察者として生きるなら、

波打つ海から出ることが出来ます。

そして、海全体を眺めるように、優雅に生きることが出来るのです。

考えや感情を流す

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感情は観て、感じて、認めてあげれば、感情は満足してあなたから離れます。

そして嫌な考えが上がって来た時にも、あなたが観て、感じて、認めてあげれば、あなたから離れます。


私達は観察者であり、観察者は無限の愛と平和であり、無限の心の空間です。

ですから、どんなことも受け入れ、どんなことも受け流せる無限のスペースが、私です。


なのに、この物質世界にいる私達は、エゴが私だと錯覚していますから、

ついついエゴの世界につられ、苦しい現実を生きています。


体と言うエゴを持っていますから、
私達は体に縛られている何かの、 

罪深い者のように思ってしまっていますが、


ですが、無限の愛の意識が私であり、私は観察者であることを思い出すべきなのです。


現実の動きは観察者の光の動きです。

現実の動きは、観察者の愛の光の動きですから、


観察者である私が、私の考えをじっと観て観察してあげれば、

体(エゴ)の考えや感情は、愛の空間へと消えて行きます。

エゴは観察者が見つめると消えます。

 
この世界は、物質体験をする為に、沢山の体に分離したエゴですが、


物質世界であっても、私達が観察者であることを思い出すなら、

私達は観察者の愛と平和で居られるのです。


ですから、観察者がエゴの考えや感情をじっと見つめてあげれば、

考えや感情の生命体達も、

愛と平和の世界へ戻れるのです。


ですが私達はついつい、考えや感情を私のものだと錯覚して、

その考えや感情が現れる度に、驚き、嫌がり、それを無くそうとして、抵抗するから苦しむのです。


体は光の動きに過ぎませんから、


考えや感情も、光の動きです。


それを私達は、私の世界だと思い込みますから、

悲しみや、憎しみや、苦しい感情を押さえ込み、無意識へ追いやり、

沢山の嫌いな私を創り出しているのです。


そして、無意識に追いやられた沢山の感情達は、

私から離れることが出来ずに、私にぐっついて、私のように振る舞います。

そして、恐怖、劣等感、挫折、みじめ、怒り、虚しさなどの考えが、次から次へと現れます。

私達は、この沢山の私を創り出して、それが私の世界だと勘違いし、

悲しんで、苦しんで、憎む人生映画を自ら創り出し、それを繰り返しています。

私達は、私の考えの中に閉じ込められた世界から、抜け出せないでいるのです。

私達の考えの世界にはまっているのですが、それに気づきません。


私達は観察者です。


私は本来観察者であることを思い出して、


観察者として、私の考えや感情を観るなら、


この物質世界にいても、
苦痛のない人生を生きられます。

感情は観てあげれば消える

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人から非難されたり、触れたくない部分を言われると、

私達は傷つきますし、辛い感情を感じますが、

他人からの言葉や態度で、傷ついたと感じるのは、

実は私の中に、解消されずに無意識の中に閉じ込めた感情があり、

他人の言葉や態度によって、無意識の中に閉じ込められてる感情に、気づけるのです。


私達は互いに、相手の無意識の中に閉じ込めた痛い感情を刺激し合い、
互いの感情を浄化させてあげるための、鏡の役割をしているのです。


ですから相手が私であり、互いに無意識の中で一つなのです。

ですから嫌な感情を感じたら、腹を立てるのではなく、あなたの感情をありのままに感じてあげて下さい。


私達は、感じたくない感情は押さえ込み、それに気づかないフリをして、その感情を無意識の領域に追いやります。


あなたが子供の頃、両親や兄弟が嫌いでも、嫌いな感情を見せずに押さえ込んだ感情がまだあるとします。

すると大人になって、パートナーやあなたの子供が、あなたを嫌らうようになります。

それは、あなたが隠していた感情を一番身近な人に、知らずに投射しているのです。

あなたは、自分を非力だと思いながらも、その非力さを隠して、頑張っていると、

一緒にいるパートナーや子供が、あなたの無意識を映し、非力な姿を見せます。

周りにいる人が皆んな、あなたの無意識の鏡ですから、
あなたが隠しているあなたの、本当の感情を映し出してるのです。

そして、その隠している感情を、あなたが気づくまで、その場面は続くのです。


人の何気ない態度に腹が立つ場合も、あなたの深い部分に、怒りや罪意識や羞恥心などが隠れてるからです。

私達のエゴは、嫌な感情を見ないフリをして、楽しい感情だけを感じようとしますから、

見ないフリした感情は、誰かの態度で映し出され、

それは、あなたが観てあげるまで反復されますから、

見ないフリをやめて、私は何故怒りを感じるのか、
パートナーや子供が、あんな態度を取るのは何故か?と、考える必要があります。


憤怒を感じる時は、その感情を解消する時ですから、

怒りを感じたら、
私がこの怒りを感じる理由は、私が嫌って無意識に追いやった感情なんだ、

あるいはこの怒りは、私が嫌われることを恐れて、隠していた感情だった、などと、正直に感じてあげることです。

それを表面意識に上げて、意識的に感じてあげれば、無意識は浄化されます。


エゴは、感じたくないものを嫌い、避けようとしますし、
そのエゴが私だと思い込んでいますから、

ついエゴに引っ張られてしまい、良い、悪いと区別し、避けようしますから、苦しくなります。


私達はエゴではなく観察者です。


観察者は、エゴがやっていることをただ、観て感じてあげれば良いのです。


私達は、それぞれがエゴを持ちバラバラに散らばって、バラバラな体験をしてるから、

あなたや私が、分離してる存在だと思っていますが、

私達は一つであり全体です。

全体をありのままに観る観察者であることに気づくなら、苦しみはなくなります。


私達は、私と言う個人が私ではなく、私達のそれぞれのエゴが映す世界を体験し、それを観察する観察者です。

観察者は愛ですから、どんな感情も、観察者が観て感じてあげれば、感情は癒されて消えて行くのです。

12因縁の苦しみ

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人の苦しみは仏陀の教えである12因縁から来ますが、


仏陀は、私も世界もない、目に見えるもの全てがない、無であり、空だと言います。


なのに私達は「生まれた」と錯覚してますから、私は「有る」と思い、


誰もが、私は「有る」と言う勘違いの「無明」を生きています。


そして、この無明から12因縁が起きて来ます。


私達は目に見えてるものを欲しがり、他人からも愛されようと必死になります。


つまり「愛」に「執着」して、愛したものを手に入れる、「取る」「行動」をします。

無明の中で愛を感じたものを、手に「取る」「行い」が「有」って、その意識が又「生」を作りだします。


有る→執着→取る→行動→生を、繰り返します。


生が生まれれば、老、病、死、も生まれますから、私達は繰り返し、生、老、病、死、の苦しみを生きることになります。


私も世界も無いのに、有ると言う勘違いの世界の無明を生きてるから、

有(生)→気(錯覚)→触→受→をして、
その為に、老→病→死、を招いてると言うことです。


有ると言う勘違いから、

目の前にある対象を見て「愛欲」を感じて、

それを「取る」行動をし、「触」し、「受」し、

やがて、「老」いて、「病」になり、「死」を迎える、の繰り返しです。


愛した人や家や車などを手に入れようとする「原因」があり、

愛したものが、いずれ古くなって、傷ついて、死にますから、

私達はその度に苦しむ「結果」を作り出してるのだといいます。


こうして12因縁が廻り続けることを、苦しみの輪廻といいます。


この世界は幻想であり、何もない「無」であり、「空」なのに、有ると錯覚して執着しますから、

老、病、死、の苦しみが後からついて来るのです。

人の苦しみの全ては「有る」と言う妄想から、12因縁の苦しみを生きることになります。


私達の苦しみは進化や目覚めの過程でもありますが、


だからこそ、この世界が幻想だと言う事実を早く知れば「無明」からも抜け出せるし、


そうなれば、生きる苦しみがなくなって、

涅槃の喜びを生きることが出来るのです。

楽しいことを探し回ると不幸が起きる

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楽しいことを探し回ると不幸が現れる。

現在に不満がなくても、なんとなく、何かが足りないと思っていて、何かしら楽しいことを探し回る人が多いけれど、

宇宙は、その人が不幸を欲しがってると解釈する。


神様!不幸が来れば、今の生活がどんなに幸せかを知ることが出来るから、
その為に私に不幸を下さい!と願ってるようなものだ。


又は、現在が充分に幸せで、足りてると思う人は、その幸せを人に分けたくなるから、

すると宇宙は、その人に更なる幸せを持たらせてくれる。

神様!現在の幸せに満足していますから、この幸せを人にも分けたいから、今の幸せを続けさせて下さい!と、宇宙が受けどるからだ。


健康な人が体の不自由な人を助けると、自分の健康を喜び、改めて感謝するから、

宇宙も、健康を喜ぶと解釈して、更に健康を贈ってくれるし、

少しのお金を持ってる人が、そのお金で人を助けると、自分は豊かだと思えて来て、感謝する気持ちが湧くし、気持ちにも余裕が出来る。
 
すると宇宙も、続けて豊かさが欲しいんだね?と、解釈して豊かさをどんどん贈ってくれる。


事故で、体を損傷した人は、事故前の健康状態が、どんなに幸せだったかを、やっと知ることが出来る。

もし、地下鉄などの事故で沢山の人が死んで、自分だけ小さな傷で済んだなら、良かった、ありがたいと言う気持ちが湧くはずである。
何もなかった時より感謝出来るはずである。


だが普段の殆どの人は、事故も傷もないのに、不平、不満を言い、もっと良いものを探し回るから、

宇宙は、感謝の気持ちを教える為に、不幸を贈るのだ。

不満な気分は、現在にある豊かさを知らないから起きる。

不平、不満だらけの人は、

どうか神様!現在の幸せに気づきたいから、幸せの再確認の為に不幸を下さい!と、宇宙に頼んでいる姿勢だから、

宇宙は事故や不幸を贈ってくれるのだ。

だけど、現在持ってるものを喜び、感謝して、人と分けるほどに、充分だと思う人には、

宇宙は、それがあなたの幸せなんだね?と解釈して、さらに豊かさをもたらせてくれる。

宇宙は、その人の気持ちのままに与えてくれる。

不平、不満を言えば、不平、不満を返してくれるし、

お金がない、愛がないと言い続ければ、お金がもっとない、愛がもっとない世界をくれるだけだ。

満足する人には、更なる満足を与え、人と分ける人は、更に分け与えるほどのものを贈ってくれる。

宇宙の法則は、この上ない校正、公平である。


だから、お金もあり、家族が幸せなのに、何かしらの不足感を感じてる人は、
宇宙に不幸をねだっている状態だと言える。

そう言う人に大きな不幸が現れれば、現在の不平、不満など吹っ飛ぶ。


だから、不幸が現れる前に、足りてることを知って、

感謝の気持ちを持ち、更に人を助ける生活を送るなら、不幸が現れることもないし、

現在の幸せをもっと確実にさせることとなる。

高度な知能の素粒子が人の人生を創り出してる

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全ての森羅万象が素粒子で出来ていますが、

素粒子は粒状のものではなく、波動ですから、

私達も波動です。

波動なのに、観えたり、触ったり出来るのは、素粒子の動きが、押し合う性質を持っているからであり、

本来は、目に見えることも、触れることも錯覚です。


森羅万象は、
早いスピードで動く素粒子に光が当たってる映像です。

ですが、目に観えてるし、触れるから、

全てが存在していると思い込み、必死になってしまってるのです。


素粒子は高度の知能を持っています。

その素粒子は、私達の心を読み取り、私達の心のままに、人生を創り出してくれます。

ですから、私達の人生は私達自身が創り出してるのです。

素粒子は、私達が常に関心を持ってるものを持って来ます。

素粒子は、私がなりたいと思ってる私を創造してくれる、魔法のような力を持っています。


ですが、素粒子が読み取るのは、私達の無意識ですから、

私達が、無意識で考え続けてることが、現実になるのです。

素粒子は私達の無意識を読み取るのです。


素粒子は高度な知能を持っていますが、良い悪いの判断をしませんから、

私達がどんなに良くない無意識でいても、その無意識のままに動いてくれてるのです。

人間から見れば意地悪にも思えますが、それが宇宙であり、宇宙には良い悪いや、善や悪がありません。

全てがありのままに良くて、ありのままに完璧で、美しいのです。

ですが、地球では良い悪いの判断の連続ですから、私達は、色々な制限の中で生きるしかありませんが、

この素粒子の存在を理解出来れば、望みのままの人生が手に入るのです。

ですが、思いのままの人生を手に入れる為には、普段から無意識を知って置く必要があります。

表面意識であれこれ考えても、素粒子を動かすのは、無意識ですし、
無意識の力に表面意識が勝つことはありません。

引き寄せの法則でも無意識の動きだけが反映されます。


私達が無心でいる状態では、表面意識が静かになっていますから、心が静かになり、願い事も叶いやすくなります。

無心で歩いたり、瞑想したり、何かに熱中している時などは、良い考えや、ひらめきが現れやすいのです。

ですが、再び世間的な生活へ目を向けた時点から、心は騒がしくなります。

特に、物質や、人への執着がある時は、心が休まる暇がありません。

心が休まる暇がない状態が続くと、その意識が無意識の中に入って行きます。

そしてその無意識を素粒子が読み取って、

心が休まる暇がない状態を、せっせと創り続けます。

高度の知能と力を持つ素粒子は、私達の無意識の、充実な僕なのです。

素粒子は良い悪いの判断をしませんから、私達が欲しがるものをただ、実現させてくれるのみです。

ですが宇宙の根源は、愛ですから、愛のない要求が叶っても、その状態が続くことはありません。

人を助ける愛あるお金持ちは、お金持ちの状態が続きますが、

愛がなく、自分の欲だけで生きるお金持ちは続かず、悲惨な結果を生み出します。

ですから望む人生を得るには、素粒子の性質を理解し、又、慈悲深く生きることのようです。

そうすれば、この上ない幸せな人生を生きることが出来るのです。

パートナーや子供が嫌いな時

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あなたは私で、私はあなたです。

全ての人があなたで宇宙全体があなた1人です。

元々一つのエネルギーが分かれて、

それぞれの、体(五感)を持って、それぞれが、別々の場所、別々の環境で生まれたから、

皆んなが違って見えるし、それで、他人がいると勘違いしているのです。

そして私達は、分別の世界にいますから、あの人は嫌いだ、変な人だ、私とは合わないと考えます。

そして地球には競争がありますから、

他人より沢山持っていたい、他人より賢いと言われたい、他人より幸せでいたい、などに執着し、競争して、
人を憎み、嫌い、恐怖する存在としてみなしています。

元々一つのエネルギーを分離させて、それぞれが、自分の選んだ体験を生きてるだけですが、それに気づくことが出来ません。


ですから、体や、五感があなたではありません。

一時的に分離を体験している最中ですが、それが全てのように思い、
現在の体や五感だけが、自分だと勘違いしているのです。


現在、あなたがとても嫌いだと思ってる人も、あなた自身です。

あなたには、あなたが嫌いな部分があり、

その自分の嫌いな部分を、他人に見せないように気を使いますが、

他人が、あなたの嫌いな部分と同じ部分を見せてくると、
あなたは、その人を嫌います。

なんて人なの?と腹を立てます。

それが家族だったり、パートナーだったりすると、余計に腹立たしくなります。

あなたの周りにいるあなたが嫌いは人は、あなた自身であり、あなたの中に隠している、もう一人のあなたです。

相手はあなたの鏡ですから、
あなたが無意識の中に追いやった、隠れてる意識を映し出してくれてるのです。

ですが、あなたがあなたの嫌いで隠してる部分を、相手が見せてくれてますから、

あなたはその人が許せなくなるのです。


それは、あなたがあなたの嫌いな部分を許していないからです。


相手があなたの子供の場合は、それを受け入れることが難しくなったり、そんな大人に育って欲しくないと、思いますが、

本来は、全ての人が一つですから、あなたが持っているものは、全ての人が持っているのです。

ただ、育った環境や違う両親の影響を受けてますから、
表現が違うだけですし、良し悪しも違うのです。

そして、良し悪しは本来ありませんが、人のエゴが、これは良い、これは悪いと、分別しただけのことです。

世界の国の常識が全部違うように、
人の良し悪しも全て違います。

ですから、あなたが良し悪しを決めなければ、全てはありのままで良いのです。

あなたの宇宙ですから、宇宙は、あなたの思いのままに動くのです。


ですから、あなたの中にある、あなたが嫌ってる部分を観てあげて、それを認めて受け入れるなら、

人がどんな行動をして来ても、嫌いになりませんし、
あなた自身のことも、ありのままで良いと思えるのです。

私達は、生まれた瞬間から根源の愛から分離され、不安の中にいます。

分離された根源の愛を、
私達を産んでくれた両親から得ようとしますが、

両親も根源の愛から分離された、悲しみを持っていますから、

私達が願うような、完璧な愛や、無条件の愛には中々恵まれにくいので、
私達は愛のない暗闇で苦しみ、その悲しみから愛を探し回るのです。

ですが、あなた自身が愛であり、あなた自身が根源なのです。

そして、全ての人が一つで、全ての人があなたです。

全ての人を受け入れ愛するなら、あなた自身をも無条件に愛せるのです。


全ての人があなたですから。


家族やパートナーを良く観察して観て下さい。

そうすれば、早くも気づく事が出来ます。

あなたがあなたの子供であり、あなたが、あなたのパートナーである真実が見えてくるでしょう。