人が生まれる理由は、この世界を体験する為です。
私達は五感を持って、この世界を体験している魂達であり、私達の心は「空」で、根源の心です。
その根源の心がこの世界を旅しているのです。
私達の一生は長く感じますが、
地球の1日は、あの世の1600年に値するらしく、
あの世から見れば、私達の一生は1秒にも満たない、短い時のようです。
人生は、魂にとっては、あっと言う間の瞬間的な出来事です。
仏陀の説法の一つに、苦聖帯と言うのがありますが、
苦聖帯とは、苦しみこそが聖なる真理だと言うことです。
私達の本質は進歩ですから、苦しみの世界を選んで、それを体験し、進歩しているのです。
ですから、苦しみがあって当たり前なのです。
人より優れていて、お金と名声があって、家族円満と言う、無難な人生は、
魂にとって、ほとんど意味のない人生です。
苦しみがなく、良いことばかりなら、わざわざこの世界に来る必要がないのです。
苦しみの中でしか、得られない知恵を得る為に来ているのですから。
人は、お金や権力が、幸せの鍵だと勘違いしていて、それを得るために毎日奮闘しますが、
その最中に必ず、自分ではどうにもならない苦しみが現れますし、
その時に人はやっと、その苦しみの解決のために、色々な事を考え始めます。
私達の生活が全て上手く行くなら、知恵や、真理を探し回ることもしませんから、
キリストや仏陀、他の目覚めた先人の知恵に出逢うこともないのです。
せっかく、この世界に学びに来て、学びのないまま、あの世に帰ることにならないように、
私達は、いくつかの苦しみを用意して来ているのです。
ですから、苦しみがあることが真理であり、良い人生であり、苦しみがあるのが当たり前だと言えます。
苦しみがあるとその解決策も同時に現れています。
苦しい時に、周りを良く見渡せば、答えを見つけられます。
すれば、苦しみと解決策と言う両方の体験が出来るので、魂にとっては大変な喜びです。
ですから、苦しみは聖なる真理なのです。
現れた苦しみを受け入れれば、苦しみの解決の答えも自然に現れます。
目覚めた沢山の先人達は、苦しみの解決方法は、ただ、苦しみの中に居よう、と教えましたが、
苦しみがある場所に、苦しみの解決方法もあるからです。
私達は苦しいから、耐え難くて、その場所から離れて、気分を変えようとしますが、
それは、一時的な避難や休憩にはなりますが、
根本的な解決にはならないのです。
苦しみを受け入れ、その中に留まるなら、
苦しみの解決はもちろん、知恵と覚醒を得られるのです。
苦しみは避けるものではなく、受け入れるものであり、
起きてくるあらゆる事柄を、ただ、受け入れて生きることが、
自分で用意して来た真理を生きることであり、
抵抗をしない分、余計なエネルギーの消費もないのですし、
苦しいことや、嫌なこと、嫌な感情は、
見て、感じてあげれば、早く去ります。
見たくない、感じたくないと思い、避け続けてると、
苦しみはいつまでも追いかけて来ます。
苦しみは、私達自身が設定して来たプログラムですから、
私達が体験するまで現れ続けるのです。